退職しても変わらなかった「もったいない」が口癖の生活
「若いころから、余ったら貯めるんじゃなくて、最初に貯めて残ったお金で暮らしてきました」
そう話すのは、70歳の正彦さん(仮名)です。69歳の妻・恵子さん(仮名)と2人で暮らしています。
正彦さんはメーカー勤務、恵子さんも子育てが落ち着いてから長く働き、夫婦とも60代で仕事を退きました。
住宅ローンは完済しています。
退職金を含め、退職時点で保有していた預貯金や金融資産は約5,600万円。その後も大きな支出をすることはなく、運用による増減もありましたが、現在は約5,800万円あります。
決して一般的な金額ではありません。
金融経済教育推進機構(J-FLEC)『家計の金融行動に関する世論調査 2025年』では、70歳代・二人以上世帯の金融資産保有額は平均2,416万円、中央値1,178万円。一方、3,000万円以上を保有する世帯も25.2%あります。夫婦のようにまとまった資産を持つ世帯も一定数存在します。
正彦さん夫婦の場合、資産形成の原動力になったのは、長年の倹約でした。
車は10年以上乗り、家電も壊れるまで買い替えません。外食は月に1、2回。旅行へ行くときも、交通費や宿泊費を比較してから予約していました。
その生活は、退職後もほとんど変わりませんでした。
あるとき恵子さんが「一度、北海道をゆっくり回ってみたい」と話したことがあります。夫婦で調べてみると、少し良いホテルに泊まりながら10日ほど旅行すれば、2人で40万円ほどかかりそうでした。
払えない金額ではありません。それでも正彦さんは言いました。
「40万円はちょっともったいなくないか。3泊くらいでいいんじゃない?」
結局、旅行そのものが先送りになりました。
似たようなことは何度もありました。恵子さんが古くなったソファを買い替えたいと言えば、「まだ使える」。友人夫婦から少し高めの温泉旅館に誘われれば、「そこまで出さなくても」。
恵子さんも節約には慣れていたため、強く反対することはありませんでした。
「お金がないから諦めていたわけじゃないんです。でも何かに10万円、20万円と使うと、それだけ貯金が減るでしょう。それが嫌だったんですよね」
総務省『家計調査報告〔家計収支編〕2025年平均結果』によると、65歳以上の夫婦のみの無職世帯では、1ヵ月の実収入は25万4,395円、可処分所得は22万1,544円。それに対して消費支出は26万3,979円でした。平均では、可処分所得だけでは消費支出を賄えていません。
退職後に資産を取り崩すこと自体は珍しいことではありません。しかし正彦さん夫婦にとって、「貯めたお金を使う」ことは、思っていた以上に難しいことでした。
