「少しの間だけだから」突然始まった母との3人暮らし
「退職したら、妻とあちこち旅行しようと話していたんです」
そう話すのは、66歳の隆夫さん(仮名)です。64歳の妻・恵子さん(仮名)と2人で暮らしていました。
隆夫さんは65歳で長年勤めた会社を退職。現在の公的年金は夫婦合わせて月約23万円です。
住宅ローンは完済しており、子どもたちも独立。夫婦は平日に温泉へ行ったり、数日かけて地方を旅行したりと、ようやく時間に縛られない生活を楽しみ始めていました。
そんな暮らしが変わったのは、隆夫さんの母・文子さん(85歳・仮名)から電話があったことがきっかけです。文子さんは電車で1時間ほど離れた場所で一人暮らしをしていました。
「ちょっと、そっちに泊めてもらえない?」
理由を聞くと、「最近、一人でいると心細くて」と言います。以前から足腰が弱くなっていることは知っていましたが、電話では元気そうでした。隆夫さんは「数日なら」と迎えに行きます。
ところが実家に着くと、気になることがいくつもありました。
冷蔵庫には賞味期限の切れた食品が残り、郵便物はテーブルの上に積んだまま。部屋が荒れているわけではありませんが、以前ならすぐ片付けていた母とは少し様子が違います。
「最近、買い物はどうしてるの?」
「近所で買ってるよ」
そう答えるものの、詳しく聞くとスーパーまで歩くのがつらく、買い物の回数を減らしていました。
隆夫さんは母を連れて帰りました。文子さんは「少しの間だけだから」と繰り返しました。
夫婦も当初は1週間程度のつもりでした。ところが、1週間が2週間になり、1ヵ月が過ぎても文子さんは帰ろうとしません。
そのころには、恵子さんが毎日の食事を3人分用意するのが当たり前になっていました。
通院の日には隆夫さんが付き添います。入浴そのものは一人でできますが、浴室で転ばないか気になり、誰かが家にいる時間に入ってもらうようになりました。
外出も変わります。
「今日は夕方までには戻ろう」
「泊まりはやめておこうか」
そんな会話が増え、夫婦が予定していた2泊3日の旅行も延期しました。隆夫さん自身は、まだこの生活を「介護」とは考えていませんでした。
「母は歩けますし、トイレも自分で行けますから。ちょっと手伝っているだけだと思っていたんです」
