「働いてほしいのに…」渋る母に頭を下げて公立大学へ進学
「よくやった! これからはみんなで安心して暮らせるわね」
都内のメーカーで企画職として働いている麻美さん(仮名・32歳)。大学4年生のとき、第一志望の企業から内定をもらった日。母から返ってきたのは祝福ではなく、自分たちの生活が保たれることへの安堵の言葉でした。
麻美さんの育った環境は、恵まれたものではありませんでした。
発端は15年前、事業に失敗した父が姿を消したことです。残された母は「身体が弱いから」とフルタイムではなくパート勤務に留まりました。2歳下の弟がいた麻美さんは、高校生にも関わらずバイト漬けの日々。給料はすべて母に渡していました。
「大学に行きたい? 高校を卒業したら働いてほしいんだけど……」
そう渋る母に対し、麻美さんは「自力で学費を払うから」と頭を下げ、睡眠時間を削って猛勉強。学費の安い公立大学に現役合格を果たしました。
入学後は日本学生支援機構の奨学金を月10万円借り、飲食店や塾講師のバイトを掛け持ち。学費と生活費を自力で捻出しました。
奨学金返済、家への入金、弟の年金や保険を肩代わり
無事に就職しても、麻美さんに安らぎの時間は訪れません。1年目は手取り20万円の給料から奨学金(月2万5000円)を返済。残りの大半を家に入れていたのです。
生活が一向に楽にならない最大の理由は、弟の存在でした。高校卒業後に働き始めたものの長続きせず、無職のまま自宅でゲームをして過ごす日々。母は弟に対して甘く、彼の国民年金や健康保険、果てはスマホの買い替え費用まで、麻美さんに「お姉ちゃんなんだから出してあげて」と頼み込むような状態でした。
「家族なんだから助け合うのは当たり前。あなたが大学に行けたのだって、私が家賃を稼いでいたからなのよ」
母の言葉に、麻美さんは逆らうことができません。そうして月日が流れ、麻美さんも中堅に。月収は手取り28万円に上がりました。
しかし、職場では後輩が増え、一人暮らしや結婚の話題なども飛び交うなか、麻美さんは相変わらず家族と同居し、口座残高はゼロに近い状態。恋愛をする余裕も、好きな服を買う贅沢も許されません。
そんな日々との決別を決定づけたのは、32歳の誕生日に母から投げかけられた一言でした。
