「いつか使う」をやめて、夫婦で「今」を選んだ日
ある日、恵子さんは古いアルバムを整理していました。
写真に写っていたのは、子どもが幼かったころの海水浴や、結婚20周年に出かけた温泉旅行です。しかし、50代以降の夫婦の写真はほとんどありませんでした。
「節約ばかりの人生でした。お金は残ったけれど、元気だった時間は戻ってこないんですね」
正男さんにも心残りがありました。退職したら各地の鉄道を撮影しようと考えていたものの、膝の状態から長時間の移動は難しくなっています。
「もう少し早く行っておけばよかったな」
夫婦は初めて、残された時間にどう使うかを話し合いました。
3,700万円をすべて使い切る必要はありません。自宅の修繕や介護、医療に備える資金を確保したうえで、「楽しむためのお金」を予算に組み込むことにしました。
最初に購入したのは、正男さんが持ち運べる軽量のカメラです。旅行は移動の少ない2泊3日のプランを選び、必要であれば駅からタクシーを利用することにしました。
恵子さんも、以前から興味のあった陶芸教室へ通い始めました。
「昔なら、月謝がもったいないと言っていたと思います。でも今は、通える体力があるうちに始めようと思いました」
内閣府『令和7年版高齢社会白書』によると、直近1年間に何らかの社会活動へ参加した65歳以上の人のうち、生きがいを「十分感じている」または「多少感じている」と答えた割合は84.6%で、活動に参加しなかった人を23.0ポイント上回りました。高齢期の充実には、資産額だけでなく、外出や学習、人との交流も関係していることがうかがえます。
夫婦は今も、日々の無駄遣いを避けています。ただし、値段だけを理由にした我慢は減らしました。
老後資金は、長生きするために残すだけのお金ではありません。元気な時間を豊かに過ごすために使うお金でもあります。
正男さんと恵子さんが悔やんでいるのは、「いつか使う」と考え続け、その時期を決めなかったことでした。将来への備えと現在の楽しみを分けて考え、今だからできることにも予算を充てる。それが、取り戻せない時間をこれ以上失わないための選択となりました。
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