高齢の一人暮らしで起きやすい“契約トラブル”
「浩一、どうしよう……私、取り返しがつかないことをしてしまったかもしれない」
夜11時を過ぎたころ、浩一さん(仮名・55歳)のスマートフォンが鳴りました。画面には母・和子さん(仮名・80歳)の名前。電話に出ると、母は泣き崩れ、言葉が途切れ途切れになっていたといいます。
「何があったの。今どこ?」
「家にいる……ごめんね、ごめんね……私、判を押しちゃったの」
浩一さんが急いで実家に向かうと、テーブルの上には複数の契約書と見積書が広げられていました。内容は、屋根工事、床下の補修、防湿シートの交換、シロアリ対策――。金額を合計すると、200万円を大きく超えていました。
和子さんの年金は月13万円ほど。持ち家で暮らしているものの、生活に余裕があるわけではありません。亡き夫とともに築いてきた預金を少しずつ取り崩しながら、なんとか一人でやってきたといいます。
「昼間、業者が来たの。『このままだと屋根が危ない』『床下もかなり傷んでいる』って写真を見せられて……今やらないと大変なことになるって」
さらに屋根の話にとどまらず、「ついでに床下も見たほうがいい」「湿気がひどい」「このままだと家が傷む」と次々に不安をあおられ、その場で追加契約を結んでしまったというのです。
「怖くなっちゃって……家がだめになったら住めなくなると思ったの」
「でも、なんでこんな大きな話を一人で決めたの」
「迷ったのよ。でも、“今日なら割引になる”って言われて……」
消費者庁『令和7年版消費者白書』によると、75~84歳や85歳以上では「屋根工事」「修理サービス」に関する消費生活相談件数が多く、高齢者では「訪問販売」や「訪問購入」に関する相談割合が高い傾向が示されています。住宅修理は、高齢者の契約トラブルで目立つ類型の一つです。
浩一さんは契約書の日付を見て、息をのみました。契約したのはその日の午後。和子さんは、不安に耐えきれず、夜になってようやく息子に電話したのでした。
「お母さん、まだ間に合うかもしれない」
「でも、工事の人は“もう材料を押さえた”って……キャンセルできないって……」
「それを今ここで信じちゃだめだよ」
和子さんは、昼間の出来事を何度も繰り返し話しました。業者は親切そうで、専門用語を並べながら、写真を見せ、「このまま放置すると雨漏りする」「近所でも工事している」と畳みかけてきたといいます。和子さんは、判断を急かされるうちに冷静さを失っていったのでした。
「情けないよね。80にもなって、こんなこと……」
「情けなくなんかないよ。相手が手慣れているんだから」
