急速に冷え込む家庭の温度
同じような変化は、家庭でも起きていました。
帰宅は連日深夜になり、家族で食卓を囲む機会は激減しました。休日も書斎にこもりきり。妻は最初、なにも言いませんでした。経営者の夫を持つ以上、忙しさは理解しているつもりだったからです。ですがある晩、しびれを切らし、「会社、そんなに大変なの?」と案じます。彼は苛立ちを隠さずに答えました。
「大変とかじゃない。いま、立て直してるんだよ」
その口調には別の意味が含まれていました。
「わからないなら、黙っていてくれ」
それから会話は減り、残ったのは連絡だけです。「今日は遅くなる」「来週は出張だ」「いまは重要な時期なんだ」。その“いま”がいつ終わるのか、誰もわからないまま時間だけが過ぎていきます。
子どもは父親の帰りを待たなくなり、妻は夫に予定を共有しなくなりました。家庭の温度は、気づかないうちに、確実に下がっていきました。
そんなある夜、妻が静かに問いかけます。「最近、私たちのこと、どう思ってるの?」上岡社長はすぐに答えられませんでした。会社の事業計画や数字の見通しならいくらでも語れるのに、家族の将来については言葉が出てこない――。沈黙の末、妻は言いました。
「あなたは会社を立て直しているつもりかもしれないけれど、家はもう壊れているよ」
戦略では覆せない「離婚届」と、連鎖する組織の綻び
「もう、無理だと思う」
後日、妻がテーブルに置いたのは一枚の離婚届でした。これまで資金繰りや訴訟、裏切りといった会社の危機を何度も乗り越えてきた上岡社長ですが、この紙一枚だけは、得意の「経営戦略」で覆すことができませんでした。
時を同じくして、社内でも綻びが表面化します。急な組織再編、説明不足の人事、突然の業務フロー変更……。「社長の目指している方向性が読めません」幹部の1人が退職を申し出たのを皮切りに、優秀な中堅社員が次々と辞めていきました。さらに長年の取引先からも「御社の体制が落ち着くまで、新規案件は見送らせていただきます」と、事実上の警告を突きつけられます。
改革のスピードに、周囲はもうついていけなくなっていたのです。不安を決断で打ち消そうとし、焦りを改革で上書きしようとした社長の姿は、周囲からは「壊れはじめている」ようにしかみえませんでした。残ったのは、空っぽになった自宅と、弱った会社でした。
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