「将来は娘を社長に」…父が当たり前に信じていた未来
「ほら、これがうちの娘です」
阿部社長(仮名/当時52歳)は、会食の席でいつも自慢げにスマートフォンを取り出します。画面に映るのは、大学の入学式で笑う、ひとり娘・恵理さんの姿です。地方で金属加工会社を営む阿部社長は、数十年かけて会社を年商20億円規模まで育て上げてきました。
創業当時は資金繰りに追われ、数ヵ月間自分だけ無給で働いたこともあります。銀行から融資を断られ、夜中まで資金繰り表とにらめっこした日も一度や二度ではありません。そして、授かった子どもは、恵理さんひとり。阿部社長にとって会社は人生そのものといえるほど大事なものでしたが、娘も同じくらい大切な存在でした。
「社長になれ」と直接口にしたことはありませんが、幼いころから工場にはよく連れていきました。社員から「恵理ちゃん、将来は社長かな?」と声が掛かるたび、阿部社長はどこか誇らしい気持ちがしました。
恵理さんが東京の大学へ進むと決めたときも、反対はしませんでした。都会で経験を積んで、また地元へ戻ってくればいいと思っていたのです。しかしいま思えば、そのころから「願い」は少しずつ「期待」に変わっていたのかもしれません。「恵理はいつか戻ってきて、この会社を継いでくれる」。阿部社長は、その未来を疑わないようになっていきました。
私には私の人生がある…父の期待と娘の思いがぶつかった瞬間
大学卒業後、東京の広告会社に就職した恵理さんは、多忙ながら充実した日々を送っていました。「若いうちは外で経験を積んだほうがいい」と考えていた阿部社長も、これまではなにもいいませんでした。
しかし、社会人になって3年が過ぎ、恵理さんは25歳に。「そろそろいい頃合い」だと、帰省した恵理さんとの食事の席を設けます。
「東京はどうだ?」「相変わらず忙しいよ。でも仕事は楽しい」そんな会話のなかで「いつ戻る?」と阿部社長は尋ねます。
恵理さんは「なにが?」と返しました。「えっ、いやだから、いつこっちに戻るんだ?って」。
阿部社長にとっては、ごく自然な確認でした。東京で数年経験を積み、地元へ戻り、いずれ自分が築いた会社を継ぐものだと思っていたのです。ところが、恵理さんは困ったように笑いました。
「お父さん、私、戻るつもりないよ」。耳を疑う阿部社長を前に、恵理さんは続けます。
「私は東京で働きたいの。いまの仕事も好きだし、やりたいこともある。ここに戻るつもりはない」
幼いころから「社長の娘」と呼ばれ、人生のレールが勝手に敷かれていた恵理さん。実は、継ぐことを期待されるたび、息苦しさを感じていたようです。
「本気でいってるのか?」…思わず手が出た父
食卓は一転、重たい空気に。「本気でいってるのか?」と阿部社長は、確認しました。
「なんのために育ててきたと思ってるんだ」。気づけば、そんな言葉がこぼれていました。恵理さんも負けじといいかえます。
「……私のことなんだと思ってるの? 私はお父さんの会社のために生まれてきたんじゃない!」
その瞬間でした。阿部社長の手が、恵理さんの頬を打ちました。妻が慌てて2人のあいだに入ります。
「もういい」。そのまま、恵理さんは家を出ていってしまいました。
