I 製品・サービスの悪用に関し、企業が被害者等に対して負う損害賠償責任
執筆者:木目田 裕
1.本稿の目的
企業が製造する製品や提供するサービスが第三者に悪用された場合に、その企業の役職員が犯罪の共犯(主に幇助犯)として刑事罰に問われ得ること(中立的行為による幇助)について、拙稿「製品・サービスの悪用に対する企業の刑事責任と社会的責任の高まり」(本ニューズレター2025年1月31日号)で、ウィニー事件やSNS型投資詐欺を例に挙げて検討しました。
また、拙稿「企業等の公共的役割の増大と契約自由の在り方」(本ニューズレター2025年6月30日号)では、企業等が公共的役割を果たすための手段、そのうち特に取引先との取引の拒絶・打ち切りについて検討しました。
企業の製品・サービスが第三者に悪用された場合には、企業は、刑事責任だけでなく、第三者の悪用によって被害を受けた個人・法人等(以下「被害者等」といいます)に対して損害賠償責任を負うこともあります※1。
本稿では、企業のこうした損害賠償責任について検討します。
※1 例えば、システム開発会社が顧客に提供したシステムに脆弱性があったため、その脆弱性を突かれて顧客がランサムウェア攻撃にあった事案のように、企業が被害者等に提供した製品・サービスに落ち度があって被害者に損害を与えた場合などは、企業は被害者等に債務不履行等による損害賠償責任を負います。定義の仕方ないし言葉の使い方の問題ではありますが、これも企業の製品・サービスの悪用という問題に分類することもできます。しかし、これは企業が被害者等に損害賠償責任を負うのが直感的にも当然視される類型なので、本稿では、こうした類型ではなく、一見すると、企業と直接には関係のない(ように見える)被害者等に対してまで、企業がその製品・サービスの悪用について損害賠償責任を負うとされた(あるいは、そのように判断される可能性がある)類型の事案に主に着目しています。
2.欧州銀行の経済制裁違反の事例
企業の製品・サービスが第三者に悪用された場合に、その企業が被害者等に対して損害賠償責任を負うとされた最近の例として、欧州の銀行の例を挙げます。
最近の報道ですが※2、本年10月17日、米国のニューヨーク州連邦地裁の陪審評決で、欧州の銀行が、スーダン内戦に関し、米国から経済制裁を受けていたスーダンの政権に金融サービスを提供して人権侵害を可能にしたと認定されて、スーダンでの人権侵害の被害者3人に合計約2100万ドル(約32億円)の損害賠償責任があるとされました。
原告側弁護士によれば、潜在的な被害者は約2万3000人にのぼり、今後、集団訴訟を進めていく模様であり、場合によっては総額1兆円にもなるような損害賠償義務がその欧州の銀行に命じられるのではないかとすら言われています※3。なお、この欧州の銀行は評決を不服として争うとのことです※4。
このほかにも、米国では、学校等における銃乱射事件に関し、銃器メーカーに対して多額の損害賠償請求もなされていますが、これも企業の製品・サービスの悪用によって被害を受けた被害者等による企業に対する損害賠償責任追及の一例です。
※2 ブルームバーグ https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2025-10-20/T4FDIHGP9VD300
※3 日本の金融機関や企業が米国等で同様の訴訟を提起されるリスクもあります。国際裁判管轄の議論や外国判決の承認執行の問題になります。
※4 なお、この欧州の銀行は、スーダン、イラン、キューバに対する経済制裁に違反して資金移動を行った件で、2014年に米国で有罪答弁をして89億ドルの罰金を科されています(米国連邦司法省の2014年6月30日付け発表資料(BNP Paribas Agrees to Plead Guilty and to Pay $8.9 Billion for Illegally Processing Financial Transactions for Countries Subject to U.S. Economic Sanctions)https://www.justice.gov/archives/opa/pr/bnp-paribas-agrees-plead-guilty-and-pay-89-billion-illegally-processing-financial)。
3.日本での事例
(1)企業の製品・サービスが第三者に悪用された場合に、日本でも、被害者等が日本の企業に対して損害賠償請求をすることはあり得ます。事例は無数に想定可能のところ、例えば、①銀行がマネロン規制の遵守不十分により特殊詐欺グループの銀行口座利用を見逃したとして、特殊詐欺の被害者が銀行に損害賠償を求める、といったケースが想定されます。
さらに、より広く、製品・サービスを含め、企業の第三者との「取引関係」の悪用という捉え方をすると、今後は、日本も、下記のようなケースのリスクは高まっているように思われるところです。
② 企業Aの原材料等の調達先Bで強制労働や児童労働等が行われたとして、調達先Bの労働者や家族が、直接の加害者である調達先Bだけでなく、企業Aに対しても、調達先Bと取引を継続することで調達先Bでの違法行為を助長したと主張して、企業Aに損害賠償を求める。
③ 企業Aの取引先Bの社内でパワー・ハラスメントがあったところ、取引先Bの社員である(あった)被害者が、取引先Bだけでなく、企業Aに対しても、取引先B社内のパワハラ横行を知りながら取引を継続することで取引先Bでのパワハラを助長したと主張して、企業Aに損害賠償を求める。
特に、③などは、近い事例を既に経験されている企業もあるかもしれません。企業Aが取引先Bの主要顧客である場合などに、被害者である取引先Bの社員が、企業Aによる働きかけを期待して、企業Aに公益通報するといった事態は散見されるところですから、企業Aの対応に被害者つまり通報者が不満を抱けば、③パターンの訴訟になってもおかしくありません。
(2)実際、日本でも、企業の製品・サービスの第三者による悪用について、次のように被害者等の請求を認めた裁判例があります。
【東京地判平成24年1月25日 TKC25480728】
いわゆる未公開株詐欺事件において、詐欺グループが被害者の勧誘の際に利用した携帯電話に関し、被害者が、携帯電話のレンタル業者に対して、同業者が携帯電話不正利用防止法※5に基づく契約者の本人確認を適切に行う注意義務を怠って詐欺グループに携帯電話を貸与し、詐欺行為を容易にしたとして、損害賠償を求めたという事例です。
東京地裁は、レンタル業者について、詐欺グループが携帯電話の貸与の申込みの際に提出した運転免許証が偽造されたものであって、簡易な調査をすれば、偽造の事実が容易に判明したにもかかわらず、これを怠ったとして、レンタル業者の不法行為責任を認め、レンタル業者に対して、詐欺被害者に、被害額300万円及び弁護士費用30万円の支払を命じました。
富士簡判平成25年1月22日TKC25501480も、レンタル携帯電話が架空請求詐欺に用いられた事例において、本人確認の不十分等を理由に、レンタル業者の詐欺被害者に対する不法行為責任を認めています。
※5 携帯音声通信事業者による契約者等の本人確認等及び携帯音声通信役務の不正な利用の防止に関する法律
【東京地判平成14年6月26日 判例時報1810号78頁】
これは「動物病院対2ちゃんねる事件」という著名事件です。
被告が運営するインターネット上の電子掲示板(2ちゃんねる)において、特定の動物病院及びその院長に対する誹謗中傷が書き込まれたという事案です。被告が誹謗中傷を削除するなどの義務を怠り、動物病院及び院長の名誉が毀損されるのを放置したとして、東京地裁は、動物病院及び院長に対する慰謝料等各200万円(合計400万円)の損害賠償を被告に命じました。
また、東京地判平成15年6月25日判例時報1869号54頁も、2ちゃんねるへの誹謗中傷の書き込みについて、2ちゃんねる運営者の損害賠償責任(慰謝料等100万円の支払義務)を認めています。
なお、プロバイダー責任制限法※63条1項は、プロバイダー等の特定電気通信役務提供者に関して、運営するプラットフォーム上のユーザーによる誹謗中傷や著作権侵害等について、権利侵害情報の不特定の者に対する送信防止措置が技術的に可能な場合であって、故意・過失があるとき(他人の権利侵害を知っていたか、知ることができたと認めるに足りる相当の理由があるとき)を除き、権利者(つまり被害者)に対する損害賠償責任を免責していますが、これらの事案では、2ちゃんねる運営者に同法3条1項に基づく免責は認められていません※7。
このように、インターネット上の掲示板やSNSサイトの運営者は、そのプラットフォーム上の誹謗中傷や著作権法違反等の権利侵害について、書き込みの削除等をしないで放置していると、被害者に対して損害賠償義務を負います。
※6 特定電気通信による情報の流通によって発生する権利侵害等への対処に関する法律
※7 「動物病院対2ちゃんねる事件」は、プロバイダー責任制限法施行前の事案ですが、東京地裁は同法3条1項の趣旨に照らしても、運営者は免責されないと述べています。
【最判平成15年4月8日 民集57巻4号337頁】※8
これは、盗難預金通帳による預金払戻しについて、最高裁が銀行に対して被害者への被害補填を実質的に命じた事例であり、この判断枠組みは、システム構築責任論などと呼ばれることもあります。
銀行が被害者に対して提供している役務それ自体の適否という問題設定(銀行が被害者に対して契約等に基づき直接的に義務を負っている責任の問題)なので、銀行が被害者に民事責任を負うのは当然のことなのですが、ATM払戻しというシステムそれ自体は一般的・汎用的なものであり、こうした一般的・汎用的なシステムの不備を突かれたという点に着目すれば、「企業の製品・サービスの第三者による悪用について企業の被害者に対する民事責任が問題とされた事例」という位置付けもできると思います。
具体的な事案の中身ですが、預金者が自動車を盗まれたため、その自動車のダッシュボードの中にあった預金通帳も盗まれ、この預金通帳でATMから預金約800万円が払い戻されるという被害に遭いました。暗証番号は、その自動車の登録番号の4桁の数字と同じ数字でした。預金者は、盗難通帳での払戻しだから、払戻しは無効であるとして、銀行に対して、払い戻された預金額の返還又は損害賠償を請求しました。
最高裁は、「・・・機械払【筆者注:ATMによる預金払戻しのことです】においては弁済受領者の権限の判定が銀行側の組み立てたシステムにより機械的,形式的にされるものであることに照らすと,無権限者に払戻しがされたことについて銀行が無過失であるというためには,払戻しの時点において通帳等と暗証番号の確認が機械的に正しく行われたというだけでなく,機械払システムの利用者の過誤を減らし,預金者に暗証番号等の重要性を認識させることを含め,同システムが全体として,可能な限度で無権限者による払戻しを排除し得るよう組み立てられ,運営されるものであることを要するというべきである」、「銀行において,預金者による暗証番号等の管理に遺漏がないようにさせるため当該機械払の方法により預金の払戻しが受けられる旨を預金者に明示すること等を含め,機械払システムの設置管理の全体について,可能な限度で無権限者による払戻しを排除し得るよう注意義務を尽くしていたことを要するというべきである」とし、銀行には、かかる注意義務の違反があったとして、結論として、預金者に払い戻された預金額約800万円を支払うように銀行に命じました※9。
要は、銀行は、自らがATMというシステムを構築・運用して金融サービスを提供している以上、そのシステムが悪用されないようにすべき注意義務を顧客に対して負っており、銀行側の注意が十分でなく、そのシステムが悪用された場合には、銀行が被害者に被害を補填する義務を負うとするものです。
なお、今日では、偽造キャッシュカードによる預金払戻し被害なども含め、預金者保護法(偽造カード等及び盗難カード等を用いて行われる不正な機械式預貯金払戻し等からの預貯金者の保護等に関する法律)で預金者の保護が図られています。
※8 https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-52362.pdf
※9 本件払戻しにつき、債権の準占有者に対する弁済の有効性(当時の民法478条)を否定しました。
4.結語―苦情・クレームと想像力の重要性
自社の製品・サービスが第三者に悪用された場合における、企業が被害者等に負う損害賠償責任の問題は、より一般的に問題設定すれば、強行法規違反ないし公法的規制違反による不法行為の成否の問題であると捉えることもできます。
中立的行為による幇助として企業役職員も刑事処罰された事案であれば、多くの場合、その企業役職員だけでなく、企業自身も被害者等に対して損害賠償義務を負うことになりますが(民法715条、同法709条、会社法350条)、本稿で紹介したとおり、企業が被害者等に損害賠償責任を負うとされるのは、そうした刑事罰が成立する事案に限りません※10。
言うまでもなく、常日頃から、企業としては、自社の製品・サービスが悪用されないように、マネロン・テロ資金規制や経済制裁等の公法的規制の遵守を徹底するのはもとより、製品・サービスの品質・安全性(セキュリティ)を高めたり、取引先を「広い意味で選別・監督」することが必要になっています。
その場合に、企業の対応として大事なのは、顧客を含めた外部からの苦情やクレームと、こうした苦情・クレームに対する想像力なのだと思います。
自社の製品・サービスが第三者に悪用された場合という問題設定とは異なりますが、一昔前に、化粧品による健康被害に関し、その化粧品のメーカーが顧客からの被害申出について顧客側の特殊体質と考えて速やかに対応しなかったために、被害が拡大したとされたケースがありました。
また、ダイレクトメールの増加に不審を抱いた家庭からのクレームや問合せに対して速やかに対応しないことで、顧客情報の漏洩や名簿屋への販売の発見が遅れ、被害が拡大したとされたケースもありました。
最近のSNS型投資詐欺であれば、SNSのプラットフォーム事業者が、なりすまされた被害者から苦情や広告削除の申出があった場合に速やかに対応しなければ、詐欺被害を助長することにもなり、被害者等に対する損害賠償義務のほか、場合によっては詐欺等の幇助犯として役職員が処罰されることにもなります。
さらに、顧客の苦情やクレームの社内共有や製品・サービスへの反映が遅れた結果、おとり広告として景品表示法違反に問われた事例などもありました。
企業としては、苦情やクレームについて※11、先入観やバイアスに捉われて対応を放置することなく、実は「当社の製品・サービスに問題があるのではないか」等と想像力を持つことが大切なのだと思います。
※10 一般に、日本では裁判で認定される損害額が少ないという指摘がありますが(例えば、名誉毀損の慰謝料等につき、司法研修所「損害賠償請求訴訟における損害額の算定平成13年度損害賠償実務研究会結果要旨」判例タイムズ1070号4頁以下参照)、今後は、日本でも、いわゆる日本版クラスアクション制度(消費者の財産的被害等の集団的な回復のための民事の裁判手続の特例に関する法律)が活用されていくだろうと思われ、また、いわゆる支配性の要件や損害範囲の限定等の問題については、証券訴訟等で行われているように、インターネットやSNS上で被害者を募集して通常訴訟手続で集団訴訟を提起することも可能ですから、企業としてはリスクとして軽視できないと思われます。
※11 そのほか、内部通報、同業他社での問題事例、外国での問題事例などにも鋭敏にアンテナを張っておく必要があります。
以上
Ⅱ秘匿特権(Privilege)の適用範囲及び訴訟における通訳の品質に関する米国判例について
執筆者:桜林 賢、勝部 純、北住 敏樹
本年10月上旬、米国の連邦高等裁判所が、米国法の適用が想定される企業不祥事対応にとって興味深い2つの判決を下しました。1つは秘匿特権(privilege)の適用範囲に関するものであり、もう1つは裁判における証言通訳の品質に関するものでした。判決の内容を以下のとおりご紹介します。
1.In re FirstEnergy Corporation,154F.4th431(6thCir.2025)
秘匿特権(Privilege)は、米国法が適用されうる事案に関する社内調査を実施する企業において、必ず意識しておかなければならない米国法上の概念です。秘匿特権が適用されるコミュニケーションや書面は、民事・刑事・行政の各訴訟手続において証拠開示義務が課されず、また、DOJやSECなどといった捜査機関からの証拠提出命令・出頭命令(subpoena)に対しても秘匿特権の対象となる証拠については提出・出頭を拒否することが認められます※12。
そのため、秘匿特権は、特定の情報を機密として保護し、証拠として開示されることを防ぐことを可能にするものです。一方で、たとえ秘匿特権の対象となるコミュニケーションや書面であったとしても、企業が一度でも秘匿特権を放棄(waive)したと認められてしまうと、その後、いかなる手続においても、当該証拠については秘匿特権を理由に開示や提出・出頭を拒否することが認められなくなります。そのため、社内調査に際しては、どのような点に留意すれば将来の捜査や訴訟において秘匿特権の主張が認められるか(裏を返すと、どのような場合に秘匿特権が放棄されてしまうのか)を見越した対応が必要となります。秘匿特権については多くの重要判例が存在していますが、2025年10月3日、米国高等裁判所(第6巡回区連邦控訴裁判所)はIn re FirstEnergy Corporation事件において、これまでの先例と同様に、外部弁護士事務所が実施した社内調査の成果物にも秘匿特権が適用されることを確認しました。
2020年、米国当局は、電気ガス等を取り扱う公益事業会社であるFirstEnergy社から賄賂を受け取ったとして州下院議員を逮捕・起訴しました。FirstEnergy社は、その直後から複数の捜査や民事訴訟に直面し、社内調査のため2つの外部法律事務所を起用しました。FirstEnergy社の株主から提起された民事訴訟(集団証券訴訟)の証拠開示手続において、株主は、外部弁護士事務所の作成した社内調査の成果物すべての開示を求めました。
第1審である連邦地方裁判所は、FirstEnergy社に対して、外部弁護士事務所の作成した社内調査の成果物は秘匿特権の対象にならないと判断し、すべての成果物を開示するように命令しました。
これに対して、高等裁判所は、社内調査の成果物に「弁護士-依頼者間秘匿特権(attorney-client privilege)」と「ワークプロダクト秘匿特権(work-product doctrine)」の両方が適用されると判断し、FirstEnergy社の開示義務を否定しました。
弁護士-依頼者間秘匿特権は、法的助言を求める依頼者と弁護士の間の秘密のコミュニケーションに適用されます。すなわち、秘匿特権の対象となる依頼者と弁護士の間の法的助言に関する秘密のコミュニケーションの内容については、開示が強制されず、秘密として保護されます。
社内調査における社外弁護士と企業の役職員との間のコミュニケーション(質問票への回答や面談等)に関する弁護士-依頼者間秘匿特権の適用の有無については、UpJohn Co.v. United States,449U.S.383(1981)がリーディングケースとなります。この件では、会社が、自社の違法行為の可能性を認識した後に、外部弁護士を起用して行った社内調査における弁護士と役職員とのやり取りの内容は、弁護士に法的助言の基盤を提供するものであるとして、弁護士-依頼者間秘匿特権が適用されることを認めました。
本件でも、FirstEnergy社が、州下院議員の告発後、DOJからsubpoenaが発行された直後に外部法律事務所に社内調査を依頼し、社内調査における社内調査を通じて法的助言を求めていたことが認められたため、社内調査の課程において行われた外部の弁護士と役職員の間のコミュニケーションの内容は、弁護士-依頼者間秘匿特権の対象になると判断されました。
株主は、FirstEnergy社が社内調査の調査結果を事業判断に利用したため、社内調査の際のコミュニケーションの目的が法的助言ではなくビジネス上の助言のためであり、弁護士-依頼者間秘匿特権が及ばないと主張しました。連邦地方裁判所もこの主張を認めましたが、高等裁判所ではこの主張は退けられました。高等裁判所では、重要なのはFirstEnergy社が法的助言を求めて社内調査を委託していたかどうかであり、弁護士から役職者に対する社内調査の際の助言が、後にビジネス目的で使われたかどうかは問題とされませんでした。
ワークプロダクト秘匿特権については、訴訟を見据えて弁護士が作成した文書に適用されます。この特権の趣旨は、弁護士が過度な干渉なく情報収集や訴訟戦略の策定を行えるようにすることです。FirstEnergy社の場合、予想される法的リスクだけでなく、実際に捜査や民事訴訟という現実のリスクに直面していたため、社内調査の際に弁護士が作成した文書に対するワークプロダクト秘匿特権の適用が認められました。
一方、株主は、社内調査の成果物については弁護士が単に事実をFirstEnergy社に伝えたものであるため、弁護士-依頼者間秘匿特権やワークプロダクト秘匿特権が及ばないと主張しました。一般に、弁護士が他の情報源から得た事実を伝達するにとどまる場合は秘匿特権は適用されませんが、本件において弁護士は、単なる事実伝達にとどまらず、何が起こったか、行為が適法かどうか、どのような民事・刑事上の結果が生じるかを判断していたとされ、高等裁判所は、「事実抜きの法的助言はあり得ない」と判示し、秘匿特権を認めました。
さらに、FirstEnergy社が刑事捜査や民事訴訟で社内調査に関する情報を開示したことや、外部会計監査人に資料を共有したことで秘匿特権が放棄されたとの株主の主張も認められませんでした。秘匿特権の対象となる情報を自発的に開示すると秘匿特権の放棄につながるリスクがありますが、本件では、FirstEnergy社が刑事・民事手続で開示した情報は、調査の一般的な結論や他の方法を利用しても得られる事実に限定されていたところ、そのような情報はもともと秘匿特権の対象外であり、もともと秘匿特権の対象外である情報を開示したとしても秘匿特権の放棄には該当しないと判断されました。また、外部会計監査人への開示については、少なくともワークプロダクト秘匿特権の放棄には該当しないとされました。高等裁判所は、先例※13を引用し、ワークプロダクト秘匿特権が放棄されたとみなされるのは、ワークプロダクト秘匿特権の対象となる情報を対立当事者に自発的に開示した場合であると述べ、外部会計監査人は、公認会計士の倫理規定上、FirstEnergy社の同意なしにFirstEnergy社の機密情報を開示できず、また、外部会計監査人による依頼者に対する訴訟が差し迫った場合には、外部会計監査人には辞任が要求されており中立を維持する必要があるため、対立当事者には当たらないと判断されました。
本判決により「弁護士-依頼者間秘匿特権」と「ワークプロダクト秘匿特権」が社内調査にも適用されることが改めて確認されたことは、企業不祥事が発覚して社内調査を行う企業にとっては、望ましい内容であるといえます。
また、会社は、捜査や民事訴訟に直面している際に、外部の会計監査人から社内調査資料の開示を求められることがありますが、このような求めに応じてワークプロダクト秘匿特権の対象となる社内調査資料を外部の会計監査人に開示したとしても秘匿特権の適用が可能であることが確認されたことにより、会社は会計監査人に情報を開示することを検討できます。
本件において、会計監査人への開示が放棄に当たらないと判断された理由として、会計監査人が職業倫理上会社の機密情報に関する守秘義務を負っていること及び外部会計監査人による依頼者に対する訴訟が差し迫った場合には外部会計監査人は辞任することが義務とされていることから会計監査人は対立当事者には当たらないといった点が言及されています。そのため、本件裁判例の判断が、会社が会計監査人のような職業倫理上の守秘義務を負わず、また、中立性の維持が求められていない第三者に対して社内調査資料を開示したような場合についてまで、及ぶのかというと、そうとは言い切れません。したがいまして、社内調査を実施した会社が、外部の第三者から社内調査資料の提供を求められた場合は、安易にそれに応じて社内調査資料を開示するのではなく、開示をすることで秘匿特権を放棄することにならないか、慎重に検討する必要があります。
※12 秘匿特権が認められていないにもかかわらず、企業が捜査機関からの証拠提出命令/出頭命令(subpoena)を拒んだ場合、当該企業は法廷侮辱罪(contempt of court)を問われる可能性が生じます。
※13 In re Columbia/HCA Healthcare Corp. Billing Pracs. Litig., 293 F.3d 289, 306 & n.28 (6th Cir. 2002)
2.US v Sandoval,154F.4th 186(2025)
米国裁判において証人の母語が英語でない場合、通訳の品質は常に重要な関心事となっています。最終的に公式記録として残るのは英語通訳であり、元の外国語による証言は記録されません。2025年10月8日、米国連邦高等裁判所はU.S.v.Sandoval事件で証言通訳の品質について興味深い判断を下しました。以下、Sandoval裁判の内容をご紹介するとともに、日本企業が米国で訴訟提起するに際しての本判決の示唆についてご紹介します。
(1)Sandoval裁判の経緯
Sandoval事件では、米国司法省が複数の被告人を暴力的な犯罪で刑事訴追を実行しました。地方裁判所の裁判では、4人のスペイン語通訳者が任命され、1人の証人が3日間にわたり証言し、2人の裁判所任命通訳者が15分ごとに交代しながら通訳を担当しました。偶然、陪審員の中にはスペイン語を話せる陪審員が2人含まれており、裁判中、そのうちの1人が「通訳が本当にひどい」と裁判官にメモを提出しました。これを受けて弁護側は審理無効(mistrial)を申し立て、地裁は裁判を中断して審問を実施しました。
地裁は、残り3人の通訳者やスペイン語を話す2人の陪審員に対して質問を行いました。通訳者の1人は「ほぼ壊滅的(slightly shy of catastrophic)」と評し、重大な誤訳の例として「マチェーテはココナッツを割るのに使える」というべきところを「マチェーテは箱を開けるのに使われた」と訳されていたことを挙げました。残り2人の通訳者は、誤訳は重要ではなく、重大な誤訳があれば自分たちが介入して証言を中断させたはずだと述べました。メモを提出した陪審員は、証人が通訳者の訳した質問に答えていて、それが弁護士の質問と同じ内容ではなかったため混乱したと証言しました。もう一人の陪審員は、証人が通訳者を訂正しなければならなかったことを指摘しました。地裁は審理無効を認めませんでした。
(2)高裁の判断理由
通訳の適格性を判断する際の基本的な基準は、「通訳の不備によって裁判が根本的に不公正となったかどうか」です。「単なる通訳ミスでは裁判の根本的な公正さに重大な疑問は生じない」とされています。本件において、高裁は裁判が根本的に不公正ではなかった理由として、3つの点を挙げました。1点目は、15分ごとの交代によって問題となる通訳者の影響が限定されたこと、証人が通訳の誤訳を訂正したこと、他の通訳者が重大な誤訳があれば証言を中断したはずであると述べたことなど、通訳者の管理方法について配慮があったことです。2点目は、指摘された誤訳が証人の回答に大きな影響を与えていなかったことです。高裁は、通訳の正確さよりも、誤訳が証言全体にどれほど影響したかを重視しました。3点目は、問題の通訳者の通訳について他の1人の通訳者が「ほぼ壊滅的」と評価したことについて、他の2人の通訳者がその評価に同意しなかったこと、重大な誤訳があれば介入して証言を中断させたはずであると述べたことを挙げました。
(3)本判決の日本企業への示唆
Sandoval事件は、裁判所によってスペイン語通訳者を4名任命した事案でした。他方、日本企業が米国で訴訟を提起し、当該日本企業側の証人が日本語を母国語とする事案を想定すると、米国の裁判所が複数の日本語通訳者を確保できる可能性は低く、他の通訳者が誤訳を指摘できる状況にはない可能性があります。
このような場合、証人に誤訳を指摘することを期待することも難しく、重大な誤訳を裁判所に伝える最適な役割を担うのは弁護士であると考えられます。また、実務的な対応としても、通訳において重要な誤訳があった場合、弁護士が再主尋問の場で誤訳を訂正することが考えられます。
日本企業においては、米国での訴訟が通訳の品質を理由に審理無効となることを回避するため、優れた通訳者を確保し、弁護士が柔軟に対応することが重要であるといえます。
以上
Ⅲ最近の危機管理・コンプライアンスに係るトピックについて
執筆者:木目田 裕、宮本 聡、西田 朝輝、澤井 雅登、藤尾 春香
危機管理又はコンプライアンスの観点から、重要と思われるトピックを以下のとおり取りまとめましたので、ご参照ください。
なお、個別の案件につきましては、当事務所が関与しているものもありますため、一切掲載を控えさせていただいております。
【2025年10月28日】
公取委及び中小企業庁、事業者団体等に対するサプライチェーン全体での支払の適正化に関する要請文を発出
https://www.meti.go.jp/press/2025/11/20251111007/20251111007-1.pdf
公取委及び中小企業庁は、2025年10月28日、関係事業者団体の代表者や金融庁監督局長に対し、サプライチェーン全体での支払の適正化に関する要請文を発出しました。
本要請文は、製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律(取適法(旧下請法の改正法))が、2026年1月1日から施行されることを受けて行われたものです※14。
取適法の施行の予定を受け、本要請文において、公取委及び中小企業庁は、関係事業者団体の代表者に対し、関係事業者団体の傘下会員に宛てて、代金の支払方法についての規制内容(取適法5条1項2号)※15を周知することや、委託事業者が代金の支払期間を円滑に短縮できるよう、委託事業者の川上の事業者も含めたサプライチェーン全体で支払期間の円滑な短縮を行うよう要請すること※16を求めました。また、金融庁監督局長に対し、支払期間の短縮に取り組む事業者からの資金繰り支援の相談に丁寧かつ親身に応じることや、事業者に寄り添った柔軟かつきめ細やかな資金繰り支援を行うことを求めました。
※14 取適法の概要については、公正取引委員会のHP(中小受託取引適正化法(取適法)関係|公正取引委員会)もご参照ください。
※15 取適法は、委託事業者が中小受託事業者に対して製造委託等をした場合の代金の支払方法について、手形を交付することや、金銭以外の支払手段(電子記録債権や一括決済方式等)であって支払期日までに代金に相当する額の金銭と引き換えることが困難であるものを使用することを禁止する(取適法5条1項2号)などしています。
※16 取適法は、委託事業者が中小受託事業者に対して製造委託等をした場合の代金の支払期日について、委託事業者が給付を受領し、又は役務の提供を受けた日から起算して60日以内のできるだけ短い期間内に定めなければならない旨を定める(取適法3条)などしています。
【2025年10月30日】
経済産業省、「サイバーインフラ事業者に求められる役割等に関するガイドライン(案)」を公表
https://public-comment.e-gov.go.jp/pcm/detail?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=595225040&Mode=0
2025年10月30日、経済産業省は、「サイバーインフラ事業者に求められる役割等に関するガイドライン(案)」の日本語版及び英語版を公表しました。本ガイドライン(案)は、ソフトウェアの開発・供給・運用を行う「サイバーインフラ事業者」に求められる役割等について整理・解説し、当該事業者やその顧客がサイバーセキュリティ対策の実効性を確保するための参考となる考え方を示したものであり、同日から2025年12月30日までの間、パブリックコメントの募集を行います。
本ガイドライン(案)では、サイバーインフラ事業者とその顧客を対象に、ソフトウェア・サプライチェーンのサイバーセキュリティに関するレジリエンス向上のために求められる責務と、責務を果たすための要求事項(具体的取組)について、以下のカテゴリで整理されており、参考になります。
【6つの責務】
<サイバーインフラ事業者が認識すべき責務>
(1)セキュリティ品質を確保したソフトウェアの設計・開発・供給・運用
(2)ソフトウェアサプライチェーンの管理
(3)残存脆弱性への速やかな対処
(4)ソフトウェアに関するガバナンスの整備
(5)サイバーインフラ事業者・ステークホルダー間の情報連携・協力体制の強化
<顧客に求められる責務>
(6)顧客の経営層のリーダーシップによるリスク管理とソフトウェア調達・運用
【6つの要求事項】
<サイバーインフラ事業者に求められる要求事項>
(1)セキュアな設計・開発・供給・運用
(2)ライフサイクル管理、透明性の確保
(3)残存する脆弱性の速やかな対処
(4)人材・プロセス・技術の整備
(5)サイバーインフラ事業者・ステークホルダー間の関係強化
<顧客に求められる要求事項>
(6)顧客によるリスク管理とセキュアなソフトウェアの調達・運用
【2025年10月31日】
消費者庁、「景品表示法に基づく法的措置件数の推移及び措置事件の概要(令和7年9月30日現在)」を公表
https://www.caa.go.jp/notice/entry/024740/
2025年10月31日、消費者庁は、2025年9月30日までの国及び都道府県等の景品表示法に基づく法的措置件数の推移及び措置事件の概要を公表しました。本概要には、2024年10月から2025年9月までに国又は都道府県等において法的措置を採った事件の事案概要をまとめた一覧表が付されており、参考になります。
【2025年11月10日】
消費者庁、「公益通報者保護法第11条第1項及び第2項の規定に基づき事業者がとるべき措置に関して、その適切かつ有効な実施を図るために必要な指針」の改正案を公表し、意見募集を開始
https://public-comment.e-gov.go.jp/pcm/detail?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=235040014&Mode=0
2025年11月10日、消費者庁は、「公益通報者保護法第11条第1項及び第2項の規定に基づき事業者がとるべき措置に関して、その適切かつ有効な実施を図るために必要な指針」の改正案を公表し、同日から2025年12月9日までの間、パブリックコメントの募集を行います。本改正指針案は、2025年6月4日に公益通報者保護法の一部を改正する法律※17が成立したことを踏まえ、主に以下の改正を行うものです。
・新たに法11条の2として通報妨害の禁止等が定められたことを踏まえ、「通報妨害」について、法11条の2第1項に定める、公益通報をしない旨の合意をすることを求めること、公益通報をした場合に不利益な取扱いをすることを告げることその他の行為によって、公益通報を妨げることをいうと定義した上で、事業者は通報者妨害行為を防ぐ措置をとらなければならないことを明記。
・新たに法11条の3として通報者探索の禁止が定められたことを踏まえ、「通報者探索」について、法11条の3に定める、公益通報者である旨を明らかにすることを要求することその他の公益通報者を特定することを目的とする行為をいうと定義を改訂(現行の指針から引き続き、事業者は通報者探索を防ぐ措置をとらなければならないことを明記)。
・新たに法11条1項の事業者がとるべき措置の例示として、労働者等に対する公益通報対応体制の周知義務が明示されたことを踏まえ、労働者等に対して周知・啓発を行う事項を明記。
※17 2025年6月4日に成立した「公益通報者保護法の一部を改正する法律」については、本ニューズレター2025年6月30日号 (「公益通報者保護法の一部を改正する法律が成立」)をご参照ください。
【2025年11月20日】
公取委、「経済安全保障に関連した事業者の取組における独占禁止法上の基本的な考え方」及び「経済安全保障と独占禁止法に関する事例集」を公表
https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2025/nov/251120_economic.security.html
公取委は、2025年11月20日、「経済安全保障に関連した事業者の取組における独占禁止法上の基本的な考え方」(以下「本発表」といいます)及び「経済安全保障と独占禁止法に関する事例集」(以下「本事例集」といいます)を公表しました。
本発表では、事業者等の情報交換に関する独占禁止法の一般的な解説のほか、経済安全保障の確保を目的とした、国際情勢の著しい変化等の外的ショックによる震災時と同程度の調達断絶に関連した情報交換、共同の取組について、以下の考え方が示されています。
・調達途絶が発生した緊急時における情報交換等について、①重要原材料の安全調達を確保するため、重要原材料の著しい不足が深刻な期間に限り、行政機関が事業者等に調達数量や調達先等を指示・指導する場合や、②事業者等の間で調達数量、調達先等の必要な情報に限って情報交換・共有を行い、安定調達のために必要な共同の取組を行う場合には、原則として独占禁止法上問題とならないこと。
・調達途絶リスクに備えた情報交換等について、①重要原材料の調達市場における参加事業者の購入シェアが低い場合や、②製品販売市場における参加事業者の市場シェア又は製造コストに占める重要原材料の調達コストの割合が低い場合、③製品販売市場における需要者が対抗的な交渉力を有しているなどの事情が認められ需要者からの競争圧力が強い場合等には、原則として独占禁止法上問題とならないこと。
また、本事例集は、経済安全保障に関連する想定事例として、公取委が、経済産業省及び国土交通省から提示された15の事例について、独占禁止法上の考え方を示すもので、例えば、以下のような考え方が示されています。
・海外事業者から業務提携や企業結合の提案を受けた事業者が、当該提案がなされた事実について、他の事業者、所管省庁又は業界団体との間で情報交換・共有することは、通常、独占禁止法上問題とならないこと。
・重要な技術やノウハウを有する事業者が、海外事業者への流出を防ぐべき重要な技術やノウハウの種類又は用途について、他の事業者、所管省庁又は業界団体との間で情報交換・共有すること自体は、通常、独占禁止法上問題とならないこと。なお、事業者間で、共同して技術やノウハウの内容又は水準について取り決めることにより、技術や製品をめぐる競争に悪影響を及ぼす場合には、技術制限カルテルとして独占禁止法上問題となるおそれがあること。
・海外企業の競争圧力に対抗しなければならないほど海外製品が販売されているという状況を踏まえると、輸入圧力が働く場合が多く、当該輸入圧力が十分大きいと認められる場合は、通常、独占禁止法上問題とならないこと。
・経済安全保障の確保を目的に、共同研究開発終了後の合理的期間に限って、同一又は極めて密接に関連するテーマの第三者との研究開発を制限することは、背信行為の防止又は権利の帰属の確定のために必要と認められる場合には、原則として独占禁止法上問題とならないこと。
以上






