今回は、会社人生の終わりまであと10年となる「50代」、どのように生きるべきか考えます。※本連載は、作家、ビジネス評論家、テレビコメンテーターとして活躍する江上剛氏の著書、『働き方という病』(徳間書店)の中から一部を抜粋し、論語で示された孔子の言葉をヒントに、仕事上で直面するさまざまな問題に立ち向かう方法を探ります。

孔子は「天が命じた使命を50歳で知った」と言うが…

孔子は「五十にして天命を知る」(為政第二)と言う。天命だよ。天が命じた使命を50歳で知るなんてことは、やはり孔子は特別な人だ。私は49歳で銀行を退職した。天命を知る直前のことだ。いったい何を考えていたのだろう。

 

いろいろな思いが重なったことは事実なのだが、50歳になれば退職できないような気がしていた。私の兄が49歳で癌をわずらって亡くなったことも影響した。しかしなによりも50歳と49歳の間の1年がものすごく大きなものに思えたのだ。

 

50歳になれば、これはあくまで仮定の話だが、私は順調なら役員になっていたかもしれない。そうなると自分は今までのように自由に振る舞えなくなる。未曽有の総会屋事件という大スキャンダルを切り抜け、私の評価はそれなりに高まっていたと思う。

 

しかし大スキャンダルで多くの尊敬する役員の方々が退職されたり、逮捕されたりした。最悪は一番尊敬していた相談役の自殺だった。

 

私は、多くの人の無念を受けて、立派な銀行にしたいと念じていた。しかし、目の前で繰り返されたのは相変わらずの派閥争い、権力闘争だった。私は正直言ってうんざりしていた。疲れていた。絶望していた。

 

このまま50歳になれば、私は自分を信じてくれた部下たちに嘘をつくことになるかもしれない。あんな派閥争いばかりする役員たちと一緒に、その渦に巻き込まれるのか。

 

ある役員は、「江上君が頑張って富士銀行や興銀に攻撃してくれないとな。期待しているよ」と笑いながら言った。私は、噛ませ犬か! と腹立たしくなった。その役員は大スキャンダルの時、逃げて安全な場所にいた人物だったから、余計に、この野郎と思った。

 

50歳になる前に退職しなければ、退職する機会を失う。そんな思いがピークに達して、遂に退職となった。

 

私は50歳からの10年間の会社員人生を全うできなかった。だから「会社人生あと10年をどう生きるか」の質問に答えることはできない。しかし私は、会社を辞めた後、幸いにも作家として暮らすことができている。こんな幸運な人間はいないと思う。多くの皆さんに感謝したい。

老いが迫るのをただ待つのではなく、楽しむのも手

さて私は50歳から60歳までの10年は嘘をつかないで好きに生きようと思った。孔子は言う。

 

「其の人となりや、憤りを発して食を忘れ、楽しみて以て憂ひを忘る。老いの将に至らんとするを知らず、爾云ふ」(述而第七)。

 

孔子の弟子が、葉公から孔子の人となりを尋ねられたのだが、弟子は何も答えなかった。そこで孔子が、自ら、なぜこんな風に紹介してくれなかったのだと言い、「孔子と言う人は、真理の道を究めたいと思ったら、心を奮い起して食を忘れるほどで、真理が得られれば、憂いを忘れるほど楽しくなり、老いが近付いてくるのも知らないような、そんな人にすぎません」と。

 

孔子は、真理を究めたいと思えば、「憤り」を発するほど、心の底から湧きおこる勢いのまま、老いが近付いて来るのも忘れるほど楽しむというのだ。これこそが50歳からの生き方ではないか。

 

50歳ともなれば会社の中では、位置づけが決まっている。出世レースも見極めがついているだろう。もしこの年齢で役員になろうとあくせくしているとしたら、よほど無能か、諦めが悪いのではないだろうか。

 

役員になっているとしたら、社長を目指して、ライバルと争っているだろう。でも考えて欲しい。役員になったのだから、好きなように仕事をしたらどうか。孔子のように老いを忘れるほど仕事を楽しんだらいいのではないか。50歳を過ぎれば、老いが迫る。もうどれだけ活躍できても10年ほどだ。それならば楽しもうよ。

 

私は、49歳で退職した。50歳直前だ。その時、2つの責任は果たさないといけないと考えた。

 

一つは親としての責任だ。幸い、その時、息子は大学生だった。留年していたが、私が銀行を辞めても、なんとか暮らすだろう。住宅ローンは退職金で返済できるだろう。そう考えると親としての責任はなんとか果たし終えた。

 

もう一つは子としての責任だ。私は三人兄姉の末っ子。しかしすでに兄と姉は亡くなっている。退職時、まだ父母は健在だった。私は父母に余計な心配をかけず、ちゃんと看取りの責任だけは果たそうと考えた。

 

そのためにも暮らしをきちんとしておかねばならない。看取りの責任はいつ果たせるか分からない。だからこそ暮らしがダメになって、父母を頼りにするなどという恥さらしは出来ない。

 

考えてみれば、50歳を過ぎたら、親としての責任と子としての責任しかないのではないか。それさえきちんと果たせる見込みがあれば、老いを忘れるほど仕事を楽しめばいい。そう思う。

 

幸いにも、私は父母の最後を看取ることができた。これで全ての責任を果たしたことになる。母を看取り、父を看取ったら60歳を過ぎていた。まさに老いが来ていたのだ。

働き方という病

働き方という病

江上 剛

徳間書店

大手メガバンクで数々の修羅場をくぐってきた著者が、誰もが仕事上で直面するさまざまな実例を挙げ、東西の古典(論語、孫子、老子、聖書など)から最強の言葉をセレクト。 「あなたにはまだまだ発揮できる力がある!」。逆境…

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