今回は、孔子の言葉から「会社員人生」を歩むヒントを探ります。※本連載は、作家、ビジネス評論家、テレビコメンテーターとして活躍する江上剛氏の著書、『働き方という病』(徳間書店)の中から一部を抜粋し、論語で示された孔子の言葉をヒントに、仕事上で直面するさまざまな問題に立ち向かう方法を探ります。

30歳になったら「平凡な人生」を歩む方法を考える

この問いは、「吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従へども矩を踰えず」(為政第二)の中の一節を借りて30代の「立つ」の意味を考えようということだ。

 

「立つ」とは、これが自分の学問だと、動かない自信が出来たという意味だと解説される。孔子は、15歳で道を学ぼうと決意し、それから15年の修行を経て30歳で自分の進む道に自信を持って揺るがなくなったのだ。

 

考えたら15年も努力しているんだ。そんな苦労もなく、ただ30歳代になったら「立つ」と思うことは、孔子に対して失礼だろう。

 

15歳でオリンピックの競泳に出場する選手がいるが、彼らは5歳から修行をしているんだ。10年だよ。そこで燃え尽きる選手もいれば、その後も努力して30歳くらいまで頑張る選手もいる。しかし、ほぼその年齢でスポーツ選手としては引退だ。それからは新しい道を探さなくてはならない。

 

あなたは順調なら22歳で大学を卒業し、就職する。そして30代を迎えるころは会社の中堅になっていることだろう。それでもたった8年だ。そんな程度の修行期間で、迷いなくこれが自分の道だなんて「立つ」ことはできるのか。できやしない。

 

会社員の30代なんて中途半端な年だ。仕事が面白くなっていればいいが、そうでなければ迷いに迷って転職しようと行動に移す年齢かもしれない。大企業なら管理職になるかならないかという年だ。30歳になった途端に管理職になれればエリートだと言えるが、見込みがないと自分で冷静に判断したら、転職した方がいいかもしれない。

 

この質問に対する答えは、一般的に大学を卒業して、会社に勤務している人を想定しているが、職人さんとか中小企業でモノ作りに関係している人なども、まさに30代になればある程度モノになるかどうか分かるという。

 

料理人に聞いたことがあるが、30代で独立しなければ、一生、雇われ料理人でいる確率が高いらしい。厳しい社会だ。勿論、コツコツと修行を続けて、名人になる人もいるだろう。

 

ある名人は「自分は不器用だったから名人と言われるようになった」と語っているのを聞いたことがある。

 

これなどはまさに孔子の道だ。たとえ不器用でもこの道で生きようと決意したら、それからはずっと修行が続くのだ。70歳になれば、ひとかどのモノになるだろう。孔子もきっと不器用な人だったのではないか。30歳で、この道を行くと決めたら、ずっと迷わず歩く。そのうち聖人になってしまった。

 

だが会社員という存在は、非常に不安定な存在だ。なぜなら会社があってこその会社員だからだ。30歳になって、「この会社と心中しよう」と固く決めたとしても、会社が倒産したり、業況悪化でリストラの憂き目にあったりすれば、今までの修行はいったいなんだったのかと腹を立てることになる。

 

あなたは孔子と違う。だから30歳で「立つ」必要などない。むしろ30歳になったら、どうやったら平凡な人生を歩むことが出来るかとプランを組んだ方がいい。

重要なのは会社ではなく、自らが歩む「道」

私は27歳で結婚した。30歳の時は、子供がいた。社宅住まいで、管理職の入り口に立っていた。

 

私は、なんとか管理職に昇進を果たし、社宅を抜け出し、自分の家を持ち、家族をちゃんと養わねばならないと思っていた。私の「立つ」とは、そんなパーソナルな思いであって、国のことも、会社の将来も何も考えていなかった。とにかく家族のために頑張ることだけ思っていた。

 

もしあなたが家族を持っていなければ、私のような「立つ」思いをすることはないだろう。家族を持つかどうかは人それぞれだから、私は強制しない。しかし家族を持てば、「立つ」という気概が生まれることは事実だ。

 

繰り返しになるが、会社員はその名の通り会社あっての人間だ。その会社は今の時代、不安定極まりない。そんな揺れ動く土台の上で「立つ」なんてことは難しい。

 

だから30代を迎えるときの覚悟としたら、今、立っている土台の会社がなくなっても、自分が立てるようにすることだろう。

 

「君子は多ならんや。多ならず」(子罕第九)と孔子は言う。君子、すなわちリーダーとなるような人は、多能であるべきか、否、多能でなくても良い、一芸に秀でていればよい、という意味だ。すなわち30代では、あれやこれや器用にものごとをこなすことより、この会社ではなく、この道で行くと「立つ」のがいいのではないか。

 

例えば営業で自分の道を切り開くとか。いずれにしても「立つ」とは自分という者の生き方を見極めることなのかもしれない。

働き方という病

働き方という病

江上 剛

徳間書店

大手メガバンクで数々の修羅場をくぐってきた著者が、誰もが仕事上で直面するさまざまな実例を挙げ、東西の古典(論語、孫子、老子、聖書など)から最強の言葉をセレクト。 「あなたにはまだまだ発揮できる力がある!」。逆境…

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