消費者団体の戸惑い
規制緩和をめぐる一連の流れのなかで、消費者団体は大きな戸惑いを隠せなかった。
たとえば、日米構造協議に際して、全国消費者団体連絡会の橋本進司事務局次長は、「いきなり、消費者の利益、という言葉が飛びかい戸惑っている。しかし、その割には、消費者の利益とは何か、という定義がはっきりしていない」とコメントしていた(『朝日新聞』1989年9月6日付)。
主婦連の清水鳩子事務局長も、「必ずしも、価格競争で安くモノが買えることだけが、消費者の利益とは限らない」としたうえで、「安くても危険な食べ物では利益にならない」と発言していた。価格の引き下げにつながる動き自体には賛成だが、安全性が犠牲になることには反対する、と受けとめていたのだとわかる。
しかし、規制緩和は同時に、消費者の自己責任を求めたため、消費者保護を要求する態度自体に、強い批判が向けられる。実際に、「今日の一部の消費者は何かというと「役所が悪い、政治が悪い」と言い、必ず「役所は何もしていない」と続く」、「消費者利益を守ることを主張しながら、奇妙に役所の権限強化につながる行動を繰り返している」といった批判がなされた(『日本経済新聞』1990年7月8日付)。
「「お上頼み」の消費者運動は壁にぶつかっている」とも言われ(『朝日新聞』1993年11月6日付)、運動を通じた政府への要求そのものが自己責任に反するとの見方が強まった。
他方、1970年代の生活の質をめぐる問いをくぐり抜けてきた消費者運動では、消費者利益が複雑な内実をもつことへの理解が深まっていた。
たとえば、アメリカによるコメの市場開放要求に関わって、1993年に部分開放が実施されたが、このプロセスで日本の消費者団体は、開放反対の立場でほぼ一致していた。
わずかに日本消費者協会だけが、「自由化で競争が生まれ、消費者にも生産者にもプラスになる」との理由でゆるやかな開放に賛成したが(『朝日新聞』1993年12月11日付夕刊)、その他の消費者団体は、力点に違いはあれども、安全性や食料自給の観点、あるいは環境保護や「歴史と風土に根ざした食生活」を守ることにつながる、という理由からコメの市場開放に反対した(原山浩介「食をめぐる「消費者問題」の変転と主体性の行方」『歴史と経済』63巻3号、2021年)。
こうした消費者団体の態度は、価格の引き下げだけが消費者の利益ではない、という理解に基づく。しかし、このときの一般消費者に対する世論調査では、市場開放の賛否が拮抗しており、開放反対の立場に偏る消費者団体のあり方は、必ずしも一般消費者の利益を代表しているとはみなされなかった(『朝日新聞』1993年12月11日付夕刊)。消費者団体の代表性は、消費者利益の内実をめぐっても揺さぶられたのである。
