セブン‐イレブンにとってのお客様 鈴木敏文の直感
鈴木敏文は、1932年に長野県で生まれた[図表1]。56年に中央大学経済学部を卒業後、出版社勤務を経て、63年にヨーカ堂へ入社した。ヨーカ堂は65年に伊藤ヨーカ堂、さらに71年にはイトーヨーカ堂へと社名を変更したが、総合スーパーの店名にはイトーヨーカドーの表記が用いられる。
鈴木は71年にイトーヨーカ堂取締役となり、先述の伊藤雅俊の右腕として総合スーパーの経営拡大を支えた。この頃、イトーヨーカ堂は、総合スーパーの大型店を出店するにあたって、地域商業者などからの強い反発を受け、各地でいわゆる大型店紛争を経験していた。その経験を経て、「地元商店街の人たちに、共存共栄でやっていきたいと申し入れるについては、その具体的な方法を提案しなければならず、中小小売店の今後の方向を研究」しようという問題意識をもつに至った(鈴木敏文「急成長するコンビニエンス・ストア」『証券アナリストジャーナル』1979年11月)。
そうしたなかで、鈴木は、別件でアメリカ視察を行った際に、サウスランド社が展開していたアメリカのセブン‐イレブンを実見した。「雑貨屋みたいな変な店」との印象をもったが、調べてみると当時4千店も出店していると知り、そこにはなにか可能性があるはずだと直感する。
1973年にはサウスランド社とエリアサービスおよびライセンス契約を結んで、株式会社ヨークセブンを設立し、鈴木はその専務取締役として、コンビニエンス・ストアという新しい業態の開発に邁進した。
このときにアメリカのサウスランド社から学んだことでは、1. コンビニエンス・ストアの基本コンセプトと、2. フランチャイズ・チェーンのしくみと会計システムという2点が重要であった。
サウスランド社に学んだこと〈1. 基本コンセプト〉
1. コンビニエンス・ストアの基本コンセプトは、買い物の便利さを提供する点にあり、コンビニエンスという名称もこれに由来する。そのためには、すぐ近くに立地し、長時間営業の年中無休で、必要なものをいますぐにほしいというニーズに応えることが重要となる。

![[図表3-3]鈴木敏文の略年譜](https://ggo.ismcdn.jp/mwimgs/9/1/540/img_913016cf3531fad3edce056458d78e8c164313.jpg)