「孤独をいとわない」孤高の変わり者が市場に勝つ
多数派とちがうことをしないかぎり、飛びぬけた成果を出すことはできない。
──サー・ジョン・テンプルトン(米国生まれのイギリス人投資家、銀行家、篤志家)
20年以上前、カリブ海の島国バハマの海岸を歩いていた私は、奇妙な光景に出くわした。長袖のシャツに、両耳の覆いと庇(ひさし)のついた変な帽子をかぶった年配の男性が、首まで海につかっていた。顔には日よけクリームがたっぷりと塗りたくられている。見ているのに気づかれないよう、私はとっさにヤシの木の陰に隠れた。それからの数分間、男性は両腕と両足を上げ下げしながら、水の抵抗に逆らって歩いていた。彼が毎日45分間、この運動を続けていることをあとで知った。
この人物こそ、20世紀でおそらく最も偉大な国際的投資家、サー・ジョン・テンプルトンだった。私は彼に取材するためにニューヨークからバハマを訪れていた。彼の居宅は緑豊かなゲーテッド・コミュニティ(塀で囲み、住民以外の敷地内の出入りを制限した街)のライフォード・ケイ・クラブにあり、ここにはモナコのレーニエ3世・前大公やイスラム教ニザール派の指導者アーガー・ハーン4世、俳優のショーン・コネリーらも住んだことがある。私の記憶が正しければ、取材は翌日のはずだった。
私がバハマに来られたのは、インターネットの出現で出版業界が大打撃を受けるまえ、儲かっていた雑誌が全費用をもってくれて、エキゾチックな場所で伝説的な人物の話を聞くという、ジャーナリストにとって胸躍るような出張旅行のオファーが来たからだ。
テンプルトンは華々しい投資実績の持ち主だった。1954年に彼が設立したテンプルトン・グロース・ファンドは38年間にわたり年平均14.5%のリターンをあげた。当時もし10万ドルを投資していたら1,700万ドルを超えていた計算になる。1912年にテネシー州の小さな田舎町に生まれたテンプルトンは、ゼロから始めて億万長者になった。どうやってそれを成しとげたのか、その錬金術から何を学ぶべきかを私は知りたいと思った。
当時85歳だったテンプルトンは投資の世界では大御所で、私はなんとなく賢人のような風貌を思いえがいていた。おかしな帽子をかぶって打ち寄せる波のなかを行進するという姿は、想定外すぎて強烈な第一印象となったが、これは彼の健康法なのだとあとで知り、偉大な人物についての貴重な洞察を得た。テンプルトンは、ゴージャスな環境にいながら金をかけずに効率的に運動する方法を編みだしていた。人に変わり者と思われようとまったく意に介さない、この無頓着ぶりこそ、彼の成功には欠かせないものだった。
投資会社リッパー・アドバイザリー・サービシズの会長マイケル・リッパーはかつて私に、テンプルトン、ジョージ・ソロス、ウォーレン・バフェットには重要な特性が共通すると言った。
「孤独をいとわないところだ。周りから賢いと思われないようなふるまいを平気でできるところも。大半の人にはない、揺るぎない信念があるのだ」
「孤独をいとわない」というリッパーのことばは、長いあいだ私の頭に残っていた。優れた投資家とほかの人とのちがいがひとことで伝わってくる。彼らは古いしきたりを壊し、まわりに順応しない異端者であり、人とはちがう目で世界を見てわが道を歩む──投資の手法だけでなく、どう考え、どう生きるかにおいても。
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