領土を拡大したいドイツの3B政策vs.イギリスの3C政策
ケンカしているオーストリアとロシア、この双方にいい顔をした「八方美人」がビスマルク。対してヴィルヘルム2世は、ドイツの親戚であるオーストリアとの友好を優先させ、再保障条約を更新せずに打ち切ります。
ロシアがフリーになったことで、孤立していたフランスはロシアに接近して露仏同盟を成立させ、ようやく仲間を得ました。
一方のドイツは1899年にオスマン帝国からバグダード鉄道の敷設権を得ると、これを背骨とする3B政策を掲げました。これにはオーストリアのバルカン半島進出を後押しする意味もある(図表2)んですが、ということは当然ロシアの南下政策と衝突。
また、バグダードからペルシア湾を通ってインド洋に出ればインドが目と鼻の先。イギリスが黙ってるはずがなく、3C政策で対抗します(図表3でご確認を)。
イギリスvs.ロシアの対立も激化
このように英独間で緊張が生じたといっても、19世紀における列強対立の主軸はあくまでイギリスVSロシアでした※。
※ 実はイギリスは、ロシアに対抗するためドイツとの同盟も模索
ロシアはシベリア鉄道&東清鉄道を敷設しつつ、中国分割で中国東北地方を手中に(図表4)。極東でも英露対立が激化してしまったんです。
ロシアは義和団事件でも大軍を送り込もうと準備。ここでイギリスは困った。苦戦が続く南アフリカ戦争に50万近い兵力を割いているため、中国に手が回らない!
窮したイギリスは、同じくロシアの南下を警戒していた日本に頼ります。日本は義和団事件で大軍を送ってロシアを牽制し、利害が一致した両国の間で、1902年に日英同盟が結ばれるに至りました。
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