「サライェヴォ事件」をきっかけに「第一次世界大戦」勃発
1914年6月28日、ボスニアの州都サライェヴォを訪問していたオーストリア帝位継承者が、セルビア人青年に暗殺されてしまいました。
激昂したオーストリアはセルビアに最後通牒を突きつけて宣戦すると、ドイツがオーストリアに、ロシアがセルビアについて参戦。三国同盟と三国協商を引きずり込んだ第一次世界大戦の勃発です。
第一次世界大戦の参戦国は、少数派の同盟国に注目するのが楽です。三国同盟のドイツ・オーストリア、バルカン戦争を通じてゲルマン陣営と関係を深めたブルガリアとオスマン帝国ですね。
イタリアは同盟国サイドにいませんね。これはイギリスの策謀で、「未回収のイタリア」をめぐってオーストリアと対立していたイタリアは連合国(英仏露の三国協商が基盤)側で参戦するんです。
東西の強国ロシアとフランスに挟まれ、窮地に立たされたドイツ
ビスマルクがかつて危惧したロシアとフランスに挟まれる状況が現実となり、これにどう対応するか…。ドイツ参謀本部は、ロシア軍がドイツ国境に到達するのに時間がかかるだろうと読み、まずは全軍を西部のフランスに投入しようと考えました(中立国ベルギーを通過してフランスの意表を突く)。
短期決戦でパリを落としたら、今度は全軍を東部に振り向けて、遅れて来たロシア軍を叩く。時間差をつけて各個撃破するシュリーフェン作戦です。
しかし、予想以上に早くロシア軍が東部国境に迫って来て、ドイツの目論見は早くも狂います(ドイツ軍は8月のタンネンベルクの戦いでロシア軍を追い払い、事なきを得ましたが…)。
9月に入り、ついに独仏軍が衝突。ドイツの進撃をフランス軍がマルヌで阻止しました。ここで戦線は膠着し、ドイツが望んだ短期決戦は叶わず、東部国境には再びロシア軍がやって来ました。結局ドイツは東西二正面作戦を強いられてしまいます。
「日英同盟」を口実に日本も参戦…中国に「二十一カ条の要求」を受諾させる
一方、日本は日英同盟を口実に連合国側で参戦しており、「敵国ドイツに打撃を与える」という口実で、ドイツの勢力範囲である山東半島や太平洋にあるドイツ領南洋諸島を占領。山東半島の権益を日本に譲渡するよう求めたのが二十一カ条の要求で、当時の袁世凱政権に受諾させました。
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