遺留分侵害額請求を受けることによるトラブルを防ぐ
(2)遺留分への配慮
Aが遺言書を作成して事業用資産を相続させた場合でも、共同相続人のBには遺留分があります。遺留分は、被相続人が有していた相続財産について、その一定割合の取得を一定の法定相続人に保障する制度です(民法1042条以下)。
相続人が保障されたはずの遺留分に満たない財産しか得ることができない場合、被相続人から遺産を受け取った受遺者又は受贈者に対し、侵害された遺留分に相当する金銭の請求(遺留分侵害額請求)をすることができます(民法1044条)。
そのため、例えば、後継者である長男に財産を承継させたいからといって、全ての財産を相続させてしまった場合、二男から、長男に対し、遺留分侵害額請求をされてしまう可能性があります。事業承継を円滑に進めるために遺言書を作成したにもかかわらず、遺留分の問題が生じてしまっては、紛争を生じさせ、かえって承継を妨げてしまう可能性があります。
そのため、事業用の資産を後継者である長男に承継させる代わりに、事業用以外の遺産については、二男に相続させる等の工夫をして、二男の遺留分を侵害しないように対処する必要があります。
(3)資金の準備等
後継者以外の相続人の遺留分に配慮をしたとしても、相続時の財産の状況や価値によっては、二男の遺留分侵害を引き起こしてしまうことが否定できません。この場合、後継者である長男は、二男から、遺留分侵害額請求を受ける場合が想定されます。
同請求に備えて、例えば、長男を受取人とする保険契約を締結して長男に一定の保険金が支払われるように対処するなどの方法が考えられます。
「債務」の記載を遺言で遺す
(4)債務の承継について
金銭債務は、相続により当然に共同相続人に法定相続分に従って承継され(最二小判昭和34年6月19日民集13巻6号757頁)、遺言で特定の相続人に債務を相続する旨記載しても、債権者に対しては対抗することはできません。
そのため、遺言書に記載をしても、当然に債務を承継することにはならず、金融機関等の債権者から承諾を得て、他の共同相続人を免責する免責的債務引受(民法472条)を行う必要があります。この点を踏まえて、遺言書の文例には、債務に関する取扱いは記載していません。
ただし、遺言書に記載があることによって、遺言者の意思が明確となり、金融機関等での手続きが行いやすくなる可能性等を踏まえて、次のような文言を入れることは考えられます。第〇条長男Bは、前条の財産の相続に伴い、遺言者が相続開始時に有する「〇〇クリニック」の事業に関する債務を全て支払うこと。
なお、相続分の指定を行う場合については、最三小判平成21年3月24日民集63巻3号427頁を踏まえて相続法改正によって規定が新設されており(民法902条の2)、債務に関する相続分の指定にかかわらず、債権者は相続分に従った請求ができますが、債権者が承諾した場合にはこの限りではなく、債務を承継した相続人にのみ請求できることとなります。
病院経営上の注意点
(5)患者情報の承継
前述と同様に、個人データの第三者提供の例外に位置づけられると考えられますが、患者への説明等を実施することが望ましいと思われます。
(6)従業員の承継
クリニックの承継にあたっては、従業員の承継も重要です。会社の場合には、法人格を有し、解散等で法人格が消滅しない限り、法人格を有するので、創業者の株式や事業用資産を後継者が承継しても、会社と従業員との雇用契約には影響しません。しかし、自然人である個人事業主の場合には、事業主が死亡すると、雇用契約上の使用者が死亡することになります。
エッソ石油事件(最二小判平成元年9月22日判時1356号145頁)は、労働者が死亡した場合の地位確認請求訴訟の承継の成否が問題となった事件で、「労働契約上の地位自体は当該労働者の一身に専属的なものであって相続の対象になり得ないものであるから、労働者の提起した労働契約上の地位を有することの確認を求める訴訟は、右労働者の死亡により当然に終了する」旨判示しています。
この判断を前提にすると、個人である使用者が死亡した場合にも雇用契約は終了するかのように考えられますが、死亡した個人事業主の相続人が従業員とともに事業を承継し営業を続けている場合には、新事業主との間に黙示の労働契約が成立するとした裁判例(府中おともだち幼稚園事件東京地判平成21年11月24日労判1001号30頁参照)があります。
また、広島高判平成29年1月27日(LEX/DB25563617)は、
「使用者の死亡によって雇用契約が終了するか否かにつき民法その他の法令上に明文の規定はない。
しかし、相続人は、被相続人の一身に専属したものを除き、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継するのであるから(民法896条)、
相続の対象となる使用者の債務(従業員の就労請求権に対応する債務)の具体的内容自体が使用者個人を看護又は教育するための雇用である場合のように使用者の一身に専属するものである場合や、使用者の変更によって労務の内容に重大な差異が生ずるような場合を除いては、雇用契約上の使用者の地位は相続の対象となり、使用者の死亡によって当然に雇用契約が終了することにはならないと解するのが相当である。」
旨判示して、同判断を最高裁も是認して上告を棄却し、上告受理申立ては受理していません(最一小判平成29年7月27日LEX/DB25563728)。
以上を前提とすると、一身専属性を有しない場合等は、雇用契約は終了せず、後継者が承継することが可能であると考えられます。しかし、一身専属性の判断は容易ではなく、遺言書に記載することにも困難が伴うと考えられますので、事業を承継しつつ、勤務を継続する従業員との間では、後継者との間で新たに雇用契約を締結する等の対応が望ましいと考えられます。
(7)開業等の手続
個人のクリニックでは、院長個人が開設者となっているため、後継者への承継にあたっては、当該院長の廃止手続と、後継者による新規での開設手続を行う必要があります。手続きとしては、保険医療機関の指定申請(厚労省)、開設届(保健所)、開業届(税務署)等が必要です。
医師資格の取得が定かでない相手には「停止条件付の遺言書」を作成する
(8)後継者が医学生である場合
遺言書の文例では、既に後継者が医師である場合を想定していますが、医学部に通学中であるなど、医師資格をこれから取得するという場合もあり得ます。このような場合、停止条件付の遺言書を作成しておくことが考えられます。遺言書に停止条件を付けた場合、遺言の効力は、遺言者の死亡時(民法985条1項)ではなく、停止条件成就から効力を生ずることとなります(同条2項)。
そこで、例えば、次のような停止条件付の遺言書を作成しておくことが考えられます。なお、遺言書は、いつでも遺言書の方式に則って撤回可能であり(民法1022条1項)、新たな遺言を作成した場合、旧遺言と矛盾抵触する箇所は旧遺言の撤回とみなされるので(同1023条1項)、後継者が医学部を卒業して無事に医師資格を取得した場合には、遺言書を書き換えることで対応が可能です。
第〇条 遺言者は、遺言者が営む「〇〇クリニック」の事業に関する下記の財産を、遺言者の長男B(平成〇年〇月〇日生)が医師資格を取得したことを条件に、相続させる。
<参考文献>
・小松大介他『医業承継の教科書』(日本医事新報社、2020年)
・鈴木克己『病医院の事業承継とM&A講座』(税務経理協会、2020年)
・医業経営研鑽会編『病院の引き継ぎ方・終わらせ方が気になったら最初に読む本』(日本法令、2019年)
東京弁護士会弁護士業務改革委員会
遺言相続法律支援プロジェクトチーム
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