資源国にとってESGは「望まざる客」
日本でも、戦争や紛争など緊急時に備えて、食料安保の準備をすべきという議論が出ている。
コロナ禍ではワクチン安保という考え方も議論された。マスク安保という荒唐無稽な話もあった。軍事力強化による安全保障の話も継続的に行われている。
しかし、食料もワクチンも軍事も(マスクも)、エネルギーがあってはじめて意味のある安全保障が担保される。
産業革命後の我々の生活システムは、その根幹にエネルギーがある。
空気のありがたさに普段は気づけないのと同様、平時にはエネルギーのありがたさが実感できない。しかし、エネルギーがなければ、現在の我々の社会空間自体が成立しない。
ESGという思想には、天然資源依存からの脱却というテーマ(E)が通底している。それは天然資源を持たない国家からすれば極めて好ましい世界であり、国家の自由度を高める僥倖だ。
逆に、天然資源を原動力に世界での「チェスゲーム」でパワーを維持・向上しようとする国家からすると、ESGは望まざる客ということになる。実際のところ、主要各国のESGへの取り組みは、天然資源の有無と極めて強く連関しているのだ。
エネルギーは粗野なパワーだが、ESG推進は、エネルギーを持たない国家(弱者)が、持つ国家(強者)に仕掛ける「イデオロギー闘争」とも言える。
そして、ESGは理性のパワーとなる。
ESGの各国別のデータ比較は容易ではないのだが、持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN:Sustainable Development Solutions Net work)などが発表している各国のSDGs達成度という指標が参考になる。
前頁の[図表1]と[図表2]を見てみよう。
[図表1]は、SDGs達成度と原油埋蔵量のランキングの相関だ。
横軸はSDGs達成度ランキングであり、右に行けば行くほどSDGsへの取り組みが消極的だ。
縦軸は原油埋蔵量のランキングであり、上に行けば行くほど原油埋蔵量が乏しい。
[図表2]は、同様の相関図を天然ガスで図表化したもので、横軸は[図表1]と同じだ。
縦軸は天然ガスの埋蔵量のランキングであり、上に行けば行くほど天然ガスの埋蔵量が乏しい。
2つの図表とも、南アフリカとトルコという2国を捨象すると、左上から右下にかけて放物線を描くことができる。興味深いことに、原油や天然ガスといった天然資源の埋蔵量が乏しい国ほど、SDGsへの取り組みが積極的なのである。
逆に、天然資源に恵まれた国家ほど、SDGsへの取り組みに消極的となる。
ロシアによるウクライナ侵攻は、明らかな反ESG行為だ。
しかし、この2つの図表から類推するに、今回のロシアの行為は、ロシアという“ならず者国家”の特殊な動きとはにわかには言えない。