未だに続く英語アレルギー、その主要因とは?
第一に日本語と英語を比べると、言葉の成り立ちやつくりが大きく違います。言い換えれば、文章の構造や文法、文字からして違うということです。この違いは、英語学習を始めて直面する、最初の関門です。
中にはアルファベットを覚える段階から英語アレルギーになった方もいるかもしれません。
不運にも話せるという喜びや成功体験を得られぬままネガティブなイメージを積み重ねてしまい、「英語がしゃべれなくてもしょうがない。」、「みんなそうだから仕方ないよね。」、「私には無理だよね。」と思ってしまった方も多くいるのではないでしょうか。その気持ちは私も理解できます。
というのも、明治時代から100年以上の長きにわたって続けられてきた英語学習はコミュニケーションの手段としてよりもむしろ学問として捉えられていた面があったからです。そのきっかけとなったのは、明治18(1885)年に伊藤博文首相が「教育の国語主義化」を掲げ、英語教育に対するアプローチを変えてしまったことでした。
この政策によって、日本の英語教育は文法や訳読中心に変容してしまい、発音や会話がおざなりになってしまったのです。これ以降、英語は学問として位置づけられるようになり、学生の会話力を含めた総合的な英語力も伸び悩んでいきます。
この流れは、今までの大学入試の受験英語に代表されるように、最近まで色濃く反映されていました。
これに加えて、日本人が持つ民族的な気質も各時代の社会情勢と併せて英語を苦手とする風潮に拍車をかけたのではないかと考えています。礼儀正しさ、真面目、時間を守る、大人しい、我慢強い、集団や周りの行動を重視する、横並びの考え、内向き、恥ずかしがり、自己主張が弱いなどを日本人の気質として挙げる方が多いと思います。
確かに、これらの気質の中には海外で高く評価されている面もあり、日本人の国際的な地位の向上に寄与している面もあるのですが、外国語学習に関して言えば、残念ながらマイナスに作用している部分があることは否めません。
昭和30〜50年代の企業社会を例に考えると、この当時は集団就職や人材育成方法など横並びの集団という意識が強かった時代で、異端児は扱いにくいという空気もありました。つまり、幹部候補とそれ以外の一般社員との住み分けが明確にあった時代だったのです。