「親より豊かになるという夢」を持たなくなった日本人
バブルは90年頃まで続き、日経平均株価3万8915円(1989年)という最高値をつけた。そして大量の不良債権が積み上がった。これを止めるべく日銀が金利や数量規制でバブル解消を止めにかかった。
これがハード過ぎてその後30年続く不況の原因となったという説もあるが、筆者はそれが厳しかったからとかどうかではなく、経済基盤が大きく変わったのが原因だったと思う。
日本経済が第一幕から二幕に移る間の幕間の喜劇、ドタバタ劇だった。
第二幕、舞台装置や照明は一転した。日本を取り巻く環境が大きく変わった。
昭和の後半でラッキーだったことがことごとくなくなった。すなわち「つき」から見放されたのである。
(1)人口構造が変化した。特に少子高齢化が始まり、それが加速した
(2)労働力の移転がなくなり、生産性が向上せず、所得向上の源がなくなった
(3)東京一極集中が進むとともに、地方の過疎化、衰退化が加速した
(4)製造業の海外移転による国内産業の空洞化が進んだ
(5)技術革新が進まず、買いたくなるような新商品が現れなくなった
(6)子供が親よりも豊かになるという夢を持たなくなった
このなかでも(6)の夢がなくなったということが最も大きいと思うが、一言でいえば国民の購買意欲が減退したということだと思う。もっと楽しい思いをしたいとか、良いものを買いたいといった意欲、モチベーションが減ったのである。
それでも政府や日銀は、経済の成長を取り戻そうとして、低金利とか量的緩和といった金融政策を多用した。条件が変わったので金融政策以外に策がなかった、というのが正直なところだったのかも知れない。
一方で公共投資もなされていたが、多くの人にとって買いたいものがない、お金を使う対象がない、という状態が続いたのだから消費が伸びず貯蓄ばかりが増えた。
つまり経済の活性化にはつながらなかったのだ。効果は表れず、物価も上がらないという状態が続いた。公共料金などはほとんど変わっていない。
そしてそれが常態になり、適温経済などと言われ程よい感じの経済状態だとさえ言われていた。そしてさらに、財政赤字が拡大し、対GDP比では先進主要国の中でダントツの最悪状態になった。