(※写真はイメージです/PIXTA)

児井正臣氏の著書『自然災害と大移住――前代未聞の防災プラン』より一部を抜粋・再編集し、「高度成長期」「バブル」の時代からその崩壊までをみていきます。

順風満帆だった高度成長期(昭和後半)

高度成長時代がいつ始まったのかについては多くの意見があるが、筆者の生活者としての実感としては概ね1965年(昭和40年)頃からだと思う。戦争で壊滅的になった経済の復興に20年、東海道新幹線と東京オリンピックが復興の仕上げと考える。

 

そして高度成長が始まった。それをもたらしたものは、今とは大きく異なる当時の舞台装置、すなわち当時の日本の経済環境だったと思う。それは、

 

(1)人口増加が進むとともに、若年層の多い人口構成だったこと

 

(2)第一次産業から第二次、三次産業へ労働力が移転し、生産性が向上し、それとともに所得の向上があったこと

 

(3)地方圏から都市部への人口の移転と、都市部における住宅不足から土価や住宅価格が高騰したこと

 

(4)技術革新により買いたくなる新商品が次から次へと世に現れたこと(三種の神器、新三種の神器)

 

(5)将来はもっと豊かになるという夢を国民が抱いていたこと

 

これらはもちろん相互に関係のあるものだが、成長に向けてのさまざまな舞台装置がすべて揃った大変ラッキーな時代だったと思う。そのなかでも、筆者は特に(5)将来への夢、が大きかったと思う。

 

すべてについて世の中が前向きだった。サラリーマンはローンで自宅を持つことに何の疑いも持たなかった。

 

私事になるが、筆者は1968年に就職、73年に結婚し、半年後に横浜市住宅供給公社の540万円という分譲マンションに幸運にも倍率23倍という抽選に当たり入居した。

 

このときの手持ち資金が70万円で、それを頭金とし残りはローンとした。5年後に福岡に転勤となり、この家を売却しすべてを精算したら700万円が手元に残った。

 

5年間家賃相当の額をローンの返金として支払いながらである。そして「夢よ、もう一度」とこの700万円を頭金に福岡でマンションを買った。

 

6年後再び転勤で売却したときに残ったのは増えも減りもせず700万円だった。1985年のことで、実はこの頃から舞台が第一幕のフィナーレに入り、「成長のための装置」が効かなくなり、成長が止まりかけたのだと思う。

 

なおこの間大卒初任給は約3万円から平均14万円となる一方、JRの初乗り料金は20円から120円になっている。ここ最近30年の動きに比べると非常に大きな伸びだったように思えるが、ある意味経済の実態(実力)を反映していたのだと思う[図表]。

 

[図表]大卒男子初任給と国電初乗り運賃の推移
次ページ想像できていたはずだが…「有頂天」だった日本国民

本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『自然災害と大移住――前代未聞の防災プラン』(幻冬舎MC)より一部を抜粋・再編集したものです。

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