京都の小さな老舗の「茶筒」が“イギリス進出”…認知度なしからわずか9年で「国立博物館の永久展示品」にまでなったワケ

京都の小さな老舗の「茶筒」が“イギリス進出”…認知度なしからわずか9年で「国立博物館の永久展示品」にまでなったワケ
(※写真:開化堂の製品)

明治8年創業の「手づくり茶筒」の老舗「開化堂」は、現在までの約150年間、激しい時代の変化に見舞われながらも、長くゆっくりと繁栄を続け、海外進出も果たしています。本記事では、開化堂の六代目当主である八木隆裕氏が、著書『共感と商い』(祥伝社)から、同社の「茶筒」がイギリスで受け入れられ、ついには同国の国立博物館の「永久保存品」になるまでに至った経緯について語ります。

ロンドンで茶筒が売れたワケ

ロンドンで茶筒が売れた理由は、一つには、ポストカード・ティーズさんという環境が、茶筒と相性が極めてよかったことです。それは紅茶屋さんなのはもちろん、オーナーのティムさんの家系にもありました。

 

ティムさんのお父さんはロンドンで名の知れた画廊の経営者であり、ティムさん自身も幼少期にアンディ・ウォーホルに絵を描いてもらったことがあるという、文化と教養がバックボーンにある家柄だったのです。

 

そういった方だったからこそ、私たちの茶筒や開化堂の歴史というものを汲んでくださり、ロンドンの人たちに伝わりやすいように、店頭で翻訳してくださっていたのですが、これはパリで茶筒が売れなかったことで、あとになってようやく気づいたのでした。

 

また、もう一つには、ロンドンの街と開化堂の茶筒の相性のよさもありました。

 

お店の一角で実演をしていたのですが、ロンドンの人たちの「ちょっと見にきたけど、これ何?」という少し斜に構えたトーンや、「いいね、いいね」とは表立って褒めてくれないけれど体感的によいと感じたモノを選んでいかれるところが、なんだか京都の人たちと似ていたのです。

 

きっと、「物柄」を大切にする気風が、ロンドンと京都で共通していたのだと思います。

 

そんな環境下だったからこそ、開化堂の茶筒はその後もロンドンにおいて、ミック・ジャガーさんの最初のパートナーだったビアンカ・ジャガーさん、BBCで10年以上番組を持っていたナイジェル・スレイターさんといった方々と出会うことができ、イギリスを代表する服飾デザイナーのマーガレット・ハウエルさんとのお取引にもつながりました。

 

そして、少しずつイギリスの人たちにも、知られるようになっていったのです。

 

すべては、ポストカード・ティーズさんに出会えた運、ということにもなるわけですが、僕はこのことから、どういった方を通じて海外の商いに入っていけるのか、どういった国や地域から入っていくのか、どういった方に最初に受け入れてもらえるといいのか、ということの重要性を痛感しました。

 

また、そういった相手の方に見つけていただける自分たちであること、自分たちがそういった鋭い感性を持つ方々に向き合えるだけのクオリティーを持っていないと立ち行かないことを、改めて感じさせられたのでした。

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共感と商い

共感と商い

八木 隆裕

祥伝社

手づくり茶筒の老舗「開化堂」 創業明治8年、つくるモノは当時のままの茶筒。 ……にもかかわらず、 ●なぜ、令和の現在でもうまく続いているのか? ●ティーバッグやペットボトルの普及で茶筒がないお宅も多い中、…

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