(※写真はイメージです/PIXTA)

児井正臣氏の著書『自然災害と大移住――前代未聞の防災プラン』より一部を抜粋・再編集し、「首都圏近郊の空き家問題」についてみていきます。

首都圏近郊の空き家問題の実態

限界集落という概念が使われだしてもう30年くらいになる。

 

その言葉から来るイメージは大都会から遠く離れた過疎地とか地方の村落などの話のようであるが、実は首都圏郊外のニュータウンと呼ばれる高度成長期に開発された住宅地の方が、今や限界集落化が深刻だと思う。

 

空き家率と空き家数のところで述べたように、首都圏では率ではまだ際立って高くはないものの、絶対的な戸数が多いために、すでにさまざまな問題が出始めている。大型店舗の閉店も、これらのニュータウンのものを良く聞く。

 

筆者が住んでいる住宅地は、まさにそのようなところだ。筆者の実体験を含めてここでの問題点や解決に向かっての施策について紹介する。

 

筆者の住む住宅地とは、川崎市北部多摩区の丘陵上にあり、概ね600m×300mの長方形のところに447世帯、1040人が住んでいる。

 

もともと谷戸だったところに、周囲の丘をけずり谷を埋めて造成したもので、中心部分の標高は約60メートルである。1997年には678世帯、1578人が住んでいたが、その後大手企業2社の社宅がなくなり、その跡地が無人のまま残り、それ以外でも毎年少しずつ人口が減っていた。

 

世帯数、人口は川崎市が町丁ごとの人口推移として公表している川崎市多摩区長尾6丁目のもので、造成された住宅地とほぼ同じ範囲なので、その数字を使っている。

 

ただしこの数字は住民基本台帳に記載されているもので、実際に住んでいる人の数はもっと少ないようだ。高齢化で子供など親族の家に住み、たまに家を見に来るという人が結構いるようだ。

 

だからここにも明らかな空き家というもののほかに、このような実質的空き家を含めれば7~8軒に1軒くらい、率にすれば13%くらいと全国平均並みにあると思う。

 

そして近年の少子高齢化、若者の都心回帰がこの地区でも同様に起き、今後は空き家がさらに増え過疎化から限界集落化、さらには集落の消滅に向かうこともあると思われる。

 

筆者は現役時代、朝は南武線の久地駅まで15分ほど歩き、帰りは登り坂がいやだったので家族に駅まで車で迎えに来てもらっていた。車がなければ生活ができない住宅地である。

 

このような、同じころにできた、同じような規模、同じような問題を抱えた住宅地というのは川崎市の北部や横浜市、東京都の三多摩地区に多くあり、どこも同じような傾向だと思われる。

次ページこの地域で「人口減に歯止めがかかった」ワケ

本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『自然災害と大移住――前代未聞の防災プラン』(幻冬舎MC)より一部を抜粋・再編集したものです。

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