振り切りたいが振り切れない、「やりがい詐欺」への同調圧力
『なぜ僕らは働くのか 君が幸せになるために考えてほしい大切なこと』(佳奈著/池上彰監修、2020年)に目を向けておきたい。この著作については毀誉褒貶が実に著しく、レビューも実に多数の読者が投稿している。
「様々な不安を抱えた、迷える今日の若者たちに是非読んで欲しい」。こういう趣旨のレビューが多々ある。
その一方で、こんなものは「おかしな宗教本」だという意見があり、この本を若者たちに読ませてはいけない、読ませたくない、という論評も数多い。
後者のネガティブレビュアーたちは、この著書の中にやりがい詐欺の色調を見出している。筆者は、どちらかといえばネガティブレビュアーたちの見解に賛同する。だが、それはそれとして、ここで取り上げたいのは、この著書への賛否問題それ自体ではない。
この著書に対しては、若者たちからの多数の読後感想がネット上にアップされていた。出版社が用意したものかと思われる。その内容にかなり愕然とした。例えば、次のようなものがあった。
〈「大丈夫。つまずいたら立ち上がればいい。」というセリフが印象に残りました。読み終わった後、何かを話すと大切なことが抜けていく気がして、口を開けませんでした(13歳中学生)〉
〈「働く」や「将来」から目を背けて逃げていたけど、この本を読んで向き合いたいと思いました。周りの子たちは将来の夢を見つけていて、それに遅れているのが悔しいと思っていました。この本のおかげで、あせらずゆっくりでいいんだと気づくことができました(15歳高校生)〉
〈自分の将来が不安でしたが、この本を読んで気持ちがすこしスッキリしました。これからの人生、悔いのないように過ごしていきたいです(17歳高校生)〉
〈自分の将来の探り方、それに勇気や努力の必要性をこの本が教えてくれました。自分に少し自信が持てて、この本を読む以前より未来が明るく見えた気がしました(16歳高校生)〉
〈自分には可能性があることをこの本が教えてくれて、とても前向きになれました(12歳小学生)〉
〈仕事を始めてからも夢は見つかる、という内容が印象に残った(18歳高校生)〉
今の若者たち、子どもたちは、何と悩んでいることか。何と苦しんでいることか。何と不安で一杯であることか。そう思えてしまって辛くなった。胸が痛んだ。
若者が悩むことが一義的に悪いことだとは言わない。悩むことは知性の高まりにつながる。だが、ここで思いを語っている若者たちは、いかにも追い詰められている。強迫観念に駆られている。いかにも息苦しそうだ。救いを求めて、心の中で悲鳴を上げている。彼らの悲鳴は、すなわち、彼らの身近にいる大人たちの悲鳴だ。
働くこととの関わりで、大人たちが取りつかれている迷いや不安や自信喪失、いたたまれないような承認欲求、振り切りたいが振り切れない「やりがい詐欺」への同調圧力。
これらのことがのしかかり、押しつぶされそうになっている大人たち。彼らの苦しさが、「なぜ僕らは〜」本に対する若者たちの感想の中から染み出している。
このままでは21世紀の労働者たちは、“21世紀の資本がつくり出した”21世紀の労働の有り方にからめ捕られて、窒息死してしまう。それを回避するにはどうするか。解決すべき問題はこれだ。このことを改めて確認したところで、次のテーマに踏み込んでいきたいと思う。
浜 矩子
同志社大学大学院ビジネス研究科教授
エコノミスト