“自分の考えを押しつける母親”が育てた子に付くクセ
幼児期に自由遊びをけずって、いわば“強制的知育”に時間をかけすぎた子は「考えないクセ」を持たされてしまうことがある。
この「考えないクセ」に加えて、「考えられないクセ」、考えることを阻害されたために「考えないようになるクセ」というものがある。幼児期の子供に“自分の考えを押しつけすぎる母親”が育てた子に付くクセである。
その家系に絢爛とした歴史上の人物や現存の有名人のいるBさんは、自分の子供は、としても“立派な学者”や“立派な科学者”“立派な医者”などに仕立て上げなければならないと、結婚前から思っていた。
そのため、長男が産まれると、乳児期からその発達に神経を尖らすことは尋常ではなかったのである。下痢、発熱などの体調の変化には、何ヵ所もの診療所や病院をはしごして治療していた。
ごく普通に風邪をひいたり、お腹をこわしているだけでも、母親というものは、わが子の事が心配でたまらないのは当たり前の事である。だが、とても心配だからといって、毎日のように何ヵ所もの病院をかけずり回ることはしない。
「大丈夫かな……」と思いながら、心配しているうちに回復するのが通常であり、もし突然悪化したにしても、いち早く気が付けば、医師の元に駆けつけて事なきを得るのが普通である。
Bさんが体調の悪い子を連れ回すのは「子供のため」というよりも、「自分の不安を解消するため」なのである。
Bさんは極端な心配症のため、子供がケガをしないように気を使うことも、ひととおりでなかった。
そんな中で、子供が“歩かない”ということでBさんの心配症は頂点に達した。一才半になっても、やっと立つか立たぬかで、歩きだす事はなかったのだ。「歩かない」と方々のクリニックを訪れても、特に、身体上の異常は見つけてもらえない。
医師も、うすうす「このお母さんはおかしい……」と思っても、“科学的でない事”は易々とは言わない。歩かない理由は明確にならないままに、母親が気をもむうちに二才過ぎになると、やっと、子供は歩き出したのである。