安定をとるか、ドラマをとるか
こうした「心に何もない」という状態は、不安定な人からすると、面白味に欠けるように思えるものです。
よくドラマや物語などでは、トラブルや不幸を発生させ、視聴者の気持ちのアップダウンをさせて盛り上げたりするわけですが、こういったトラブルがドラマに起きなかったらどうでしょうか。見ていてとても退屈ですよね。
これが、人生にも働いています。
つまり、多くの人は無意識のうちに、人の顔色を窺ったり、人に振り回されたりしてみることで、あえて自分から退屈しないアップダウンのある時間を味わいにいっているのです。
それに対して、先程の安定状態の人というのは、自分自身だけに集中できているので、周りがどうか、周りにどう思われるか、といったことに関心がないし、そもそも他人にあまり興味もありません。
これは、別に悟りを開いているとかではないのですが、単純に「他人のことではなくて自分の気持ちに注目」となっているので、心の中に波風が立たない。
要は、安定している状態というのは、本当に気持ちに動きがない、退屈な状態なのであり、その退屈さを受け入れている状態なのです。
そして、だからこそ周りに同調圧力をかけるような人がいたとしても、柳に風で不安定になりません。反抗心も湧いてきません。
それゆえに、誰かから同調圧力を向けられることもないのです。
「いい意味で自分中心」に生きる
また、精神的に安定している人というのは、生活そのものが「いい意味で自分中心」という特徴もあります。
他人を生活の中心にしていたら、「なんでこんなに周りのことを考えてやっているのに」と怒りが湧いてしまって、気がつかないうちに自分が同調圧力をかけてしまうこともあります。
一方、自分を中心にした生活ならば、「なんでこんなに我慢して」とか「なんで自分ばかり」という不満が湧いてこないので不安定にならない。
「こうしてほしいのに」といった他者への期待もないので、周りの行動を変えさせるような同調圧力をかけたくならないのです。
しかも、同調圧力をかけなければ、周りから嫌われにくくもなりますから、ますます精神的に安定していきます。
すると、「自分中心に生活をしていても、周りから同調圧力をかけられないんだ!」ということが、体験的にもわかっていくのです。