アメリカに行くためにカナダに行く
さて、コンピュータに夢中で、早くから「海外へ行き、しっかりと自分の人生を構築したい」と考えていたマスクは、次第に自由の国「アメリカ」へと目を向けるようになる。
「アメリカのやる気さえあれば何でもできるという精神に惹かれていました。それになんといっても最新のテクノロジーがありました」とはマスクの弁である。
そこで、最初のチャレンジとなったのは、父親にアメリカ移住を認めてもらうことだった。
当時アパルトヘイト(人種隔離)政策が取られていた南アフリカでは、白人男性には18歳になると兵役が課せられていた。黒人を抑圧する軍隊へ入隊することにためらいのあったマスクは、早い時期からアメリカへの移住を志していた。
しかし、厳格な父親は子どもを海外旅行に連れていくことはあっても、移住については決して首を縦に振ろうとしない。そこでマスクは一計を案じる。
まずカナダの大学へ入学しようと考えたのだ。普通の学生なら直接「アメリカの大学へ行くこと」を考え、そのための準備を進める。ところが、それだと父親の了解を取り付けるのが難しいかもしれない。そこで、母親の親戚を頼ってカナダの大学に行く。そうすれば隣国アメリカへの道も開けるのでは、と考えたのだ。
カナダへの入国書類が揃うまでには1年近くかかったが、その間「書類が揃うまでの暇つぶし」として南アフリカのプレトリア大学に進み(5ヶ月で中退)、書類が揃うや否や中退してカナダへと旅立っている。
そしてカナダにいる母親の親戚を訪ねたマスクは、大学に入学するための学費を自力で稼ぐべく、農場での農作業や、チェーンソーを使った木の伐採、製材所のボイラー室の清掃など、1年間肉体労働に励んだ。マスクがそんな苦労をしてまで大学に進みたかったのは、その先にアメリカ移住を見据えていたからだった。
「やりたいことがあれば、まず行動を起こす」
これがマスク流「すぐやる人」の仕事術の原点だ。
桑原 晃弥
経済・経営ジャーナリスト