マスクの起業は「ゼロ」からのスタート
■「何も持たないこと」は「リスクを取るチャンス」なんだ
カナダで、大学入学の学費を稼ぐために一年間肉体労働に従事したマスクは1990年、クイーンズ大学へ入学する。
この頃には、後に会社を一緒に創業することになる弟のキンバルも、南アフリカからカナダに移住していた。
当時の同級生によると、愛想のいい弟に比べてマスクは、いきなり「僕は電気自動車のことばかり考えてるんだ」と言うほど「オタクっぽく、ぎこちなさが目立つ」存在だったらしい。
それでも勉強は抜群にできたようで、「イーロンの突出度は尋常ではなかった」と同級生たちは口を揃えて言った。
クイーンズ大学の2年生が終わる頃、マスクは奨学金を得てアメリカの名門ペンシルベニア大学に編入する。
ここではビジネススクールのウォートン校で経済学を学び、物理学の学位も取得するなど抜群の成績を収め、1994年、これまた名門のスタンフォード大学の大学院へと進むこととなる。
この時、既にマスクは、後の起業につながる「インターネット」「宇宙」「再生可能エネルギー」の分野に強い興味を持ち、「世界を救う」「人類を救う」といったことを考え始めていた。
ただ、スタンフォード大学の大学院に入学するまでは、材料工学と物理学の博士号を取得して、ウルトラキャパシタ(蓄電池)関係の研究をするつもりだった。
ところが、1995年、「オンラインコンテンツ出版ソフトを提供すればビジネスになる」と考えたマスクは、大学院をわずか2日で中退。弟のキンバルと一緒にウェブソフトウェア会社「Zip2」を立ち上げる。
1995年というと、ジェフ・ベゾスがアマゾンのサービスを提供し始めた年(創業は1994年)であり、インターネットの持つ可能性を信じる人が出始めた時期でもある。
その意味では、マスクにも先見の明があったわけだが、べゾスがそれ以前に金融関係の会社で副社長を務め、多くの経験とそれなりの資金を持っていたのに対し、マスクの起業はあまりに無謀だった。
マスクは、コンピュータやインターネットに関する知識こそふんだんに持っていたものの、肝心の資金が「ゼロ」だったからだ。
それどころか、大学や大学院に進んだ際に組んだ学費ローンがたっぷり残っていて、家を借りるよりも安いからと、小さなオフィスを借りて寝泊まりする、そんな生活をしていた。
しかも部屋にシャワーはなく、たった1台のコンピュータでプログラムとサーバーの2つの役割をさせていたほどだった。
しかしマスクは「何も持たないこと」は、「リスクを取るチャンス」という考え方で起業の道を突き進んでいった。