残業代を「基本給」に入れている日本企業
「OOさんの所属している部署って、不夜城で大変だけど手厚い残業代が保証されているから羨ましいんだよね」
以前、上場会社に勤める知人がこぼした何気ない一言に私は強い違和感を覚えました。そもそも、違和感の正体がなんだったのか説明しますと、それは「残業代が保証されている」という考え方がおかしいのではないか、というものです。
かく言う私も前職で残業代が保証されている部署にいたことがあります。そこへの配属が決まったときには、同僚から「不夜城への異動おめでとう」と笑われたり、「残業代が他部署に比べて圧倒的に高いから羨ましいな」などと皮肉を言われたりしました。
実際、その部署に移ってから給与は明らかに増えました。いま思えば、その部署の部長は、メンバーに猛烈な労働を強いる分、残業代のリミッターを外せる権限を行使することでバランスを保とうとしていたのでしょう。いつしか、それはその部署の特権のようなものにすらなっていました。
このような労働環境は、私がいた会社だけに限った話ではなく、当時の日本のスタンダードだったといえるかもしれません。しかし、基本給を補填するような残業のあり方は、次第に変化しつつあります。
そして、それによって人生に狂いが生じてしまった人さえいるのです。NHKが2021年12月に公開したWEB特集「沈む中流」によれば、残業代ありきで住宅ローンを組んでいたが、コロナ禍による残業時間減少の影響で支払い能力を失ってしまい、不動産の売却を選択する人が増加しているというのです。そして、その3割は正社員が占めているとのことです。
評価方法を誤ると残業が長引く要因となる
重要なのは、主観に頼らない事実をベースに管理や評価を行うことです。
「私は人よりも、時間をかけて、これだけ頑張っている」
「大きな会社を相手にあと一歩の案件をつくれた」
「潤滑油である私がいることで、各部署がスムーズに連携できている」
などのように、当人の主観に頼るようなものは評価すべきではありません。「ミス発生率は何%以下だったのか」といったような事実をもとに話を進めるべきです。加えて、生産性も評価対象のひとつです。
たとえば、生産性を測るために、同じ質でミス発生率を抑えることができている社員が2人がいるとき、そこにかけた労働時間が少ない人が評価される仕組みなどがよいでしょう。つまり、いかに残業時間を抑えて質の高い仕事をしているかが評価される環境を作るべきです。人を変えるには環境を変えることに尽きます。