アメリカ人は自然と闘い、ロシアは人と戦う
■ヨーロッパのロシア離れ
ロシアのウクライナ侵略を受け、欧州のリーダーたちのあいだで話題になっているのは19世紀フランスの政治思想家アレクシ・ド・トクヴィルの「予言」です。
彼は米国を取材旅行して、『アメリカのデモクラシー』(岩波文庫松本礼二訳)を著しました。1835年刊の第一巻では、〈今日、地球上に、異なる点から出発しながら同じゴールを目指して進んでいるように見える二大国民がある。それはロシア人とイギリス系アメリカ人である。〉として、当時の新興国、ロシアと米国を比較しています。
〈アメリカ人は自然がおいた障害と闘い、ロシア人は人間と戦う。一方は荒野と野蛮に挑み、他方はあらゆる武器を備えた文明と争う。それゆえ、アメリカ人の征服は農夫の鋤でなされ、ロシア人のそれは兵士の剣で行われる。
目的の達成のために、前者は私人の利害に訴え、個人が力を揮い、理性を働かせるのに任せ、指令はしない。後者は、いわば社会の全権をひとりの男に集中させる。一方の主な行動手段は自由であり、他方のそれは隷従である。
両者の出発点は異なり、たどる道筋も分かれる。にもかかわらず、どちらも神の隠された計画に召されて、いつの日か世界の半分の運命を手中に収めることになるように思われる。〉
ウーン、だとすると中国はロシア型かな、と想像力をかき立てられますが、違和感を覚えざるを得ない部分もあります。とくに、アメリカ大陸の豊饒な大地を「荒野」、先住民を「野蛮」と見なして武力で掃討し、土地を奪ってきたのが英国など欧州からの移民です。
「征服」が農夫の鋤でなされ、しかも個人の理性に任せたとは、あまりにも白人優越史観そのものです。それに現代の米国は個人主義で自由と理性を重んじるのは認めますが、覇権のためには剣も使い、金融力で隷従させることも辞さないのです。
とはいえ、欧州のエリートが評価するように、ロシアに関する記述はたしかに傾聴に値します。ロシアの残虐で非道なウクライナ侵略は、「民主主義国同士は戦争をしない」とするドイツの哲学者カントの言葉を信じていた欧州の指導者に、衝撃を与えたのも無理はありません。
東西冷戦が西側自由主義陣営の勝利で終わり、しかも共産党独裁体制が民主主義体制に転換した以上、ひとりの男が剣にものを言わせる専制主義ロシアの復活はないとの西側世界の楽観論は、ウクライナ侵略戦争で完全に吹き飛んでしまったわけです。
世界は民主主義の政治体制でさえあれば、話し合いで戦争が回避されるわけではまったくなく、とくに歴史的な大国ともなればその国が長年受け継いできた遺伝子のようなものに突き動かされるという現実を、西欧は思い知らされたのでしょう。