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アベノミクスは次元の違う金融緩和を行った
■アベノミクスの登場
消費者物価の前年比上昇率2パーセントの目標を掲げた政府・日銀の共同宣言から約半年後の2013年6月14日、安倍政権は「日本再興戦略」を発表し、そこで「アベノミクス」を明示します。
大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略の「三本の矢」で経済成長を実現するというものです。ただ、その一部は、安倍氏が政権に返り咲いた2012年12月ごろから動きはじめていました。
バブル経済の後遺症から日本経済が立ち直りつつあった1997年、当時の橋本龍太郎政権が消費税率を引き上げるなど苛烈な緊縮財政をやったために、デフレ状態となってしまいます。「橋本デフレ」と呼ばれましたが、以後、日本は慢性的なデフレの状態から脱出できなくなってしまいます。
慢性デフレが始まった1997年からアベノミクス前の2012年までは、賃金の急減ぶりが目立ちます。物価下落の速度は緩やかで、賃金下落のスピードのほうがはるかに速くなっていました。経済学の教科書的には、デフレは物価の継続的な下落を意味します。しかし、デフレが続くことで激しい賃金下落(賃金デフレ)につながる、そう解釈したほうがより現実的だと思います。
橋本デフレで急激な賃金デフレに陥りますが、2001年以降は円高是正と米国の住宅ブームによる対米輸出増で景気がもち直し、賃金も下げ止まりました。しかし2008年9月のリーマン・ショックで、再び賃金デフレに向かいます。
そのなかでも当時の白川日銀総裁は、金融緩和を拒否します。2011年3月11日には1万8425名もの死者・行方不明者が発生する東日本大震災が起き、巨額の復興資金が必要とされる状況になるのですが、それでも白川総裁は金融緩和拒否の姿勢を変えません。その結果、超円高を招いてしまいます。
この惨状を深刻に受け止めながら、捲土重来を期して経済政策の研鑽を重ねていたのが安倍晋三氏でした。安倍氏は、2007年9月に持病のため首相就任1年足らずで辞任してしまいます。それでも政治家を引退するつもりはなく、復帰を画策していました。その復帰に向けて着目していたのが経済政策でした。
2011年11月に、私は拓殖大学のシンポジウムに講師として招かれました。そのとき同じ壇上に並んだのが、安倍氏でした。彼はエコノミスト顔負けの日銀の金融政策批判を披露し、大胆な金融緩和の必要性を説いていました。アベノミクスで金融の異次元緩和を第一の矢とする構想は、あのとき、すでに固まっていたのだと思います。
アベノミクスの三本の矢が明確に示されたのは、2013年6月でした。しかし第一の矢である金融の異次元緩和は、2013年3月の黒田東彦氏の日銀総裁就任と同時にスタートしています。黒田氏が安倍氏の意を受けていたことは間違いありません。
異次元緩和の呼び方は、2013年4月の会見で黒田総裁が、「量的に見ても、質的に見ても、これまでとはまったく次元の違う金融緩和を行う」と発表したことに由来しています。
日銀の伝統的な金融市場操作目標は金利でしたが、異次元緩和では資金供給量(マネタリーベース)に変更されました。それも、2年間で2倍にもなるペースの大規模なものでした。これを、物価上昇率2パーセントの達成まで継続する、としています。
この第一の矢は、円高の是正をもたらし、輸出の回復に貢献しました。第二の矢である機動的財政出動は初年度だけで終わりましたが、第一の矢が主導するかたちで雇用情勢も上向きます。2013年からは賃金下落トレンドから脱して、正規雇用の賃金は2019年まで、全雇用とパートの賃金も2018年まで徐々に上昇を続けていきます。
雇用改善を端的に表すのが有効求人倍率の上昇です。アベノミクス効果のひとつに違いありません。
ただし、賃金上昇を上回る速度で上昇していったのが物価でした。アベノミクスの前は、賃金の下落幅が物価の下落に追い付かない状況でした。それがアベノミクスの後になると、物価上昇に賃上げが追い付かない状態になります。
正規雇用とパートで濃淡はあるものの、物価を勘案した雇用全体の実質賃金の下落ということでは、アベノミクスの前後で変わりがありません。デフレから脱却できない状態が続いているわけです。
グラフ7-⑥はアベノミクスを挟んで、求人倍率、賃金、物価を詳細に追っています。