「勘定合って金足らず」…若手社長の危うい経営を指摘した、顧問弁護士の厳しいひと言

名古屋にある不動産会社の営業マンは、不動産会社発の住宅情報誌の刊行を成功させるなど実績を積み、若くして社長に就任。その後は本業の成長ぶりもすさまじく、支店や営業所の出店ラッシュが続きます。ところが、顧問弁護士からはそんな経営を危ぶむ厳しい指摘が。本業の手綱を引き締めつつ、バランスを取っていきますが…。

 

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顧問弁護士から、経営方針への厳しい指摘が…

支店や営業所の出店ラッシュが続いていた1998年、長年にわたって顧問弁護士をしてもらっていた先生に、「今のニッショーはバッテリーを積んでいない自転車みたいなものだ」と言われたことがあります。先生はもう故人になりましたが、なんでも相談できる弁護士でした。遠慮や忖度なしになんでも言ってくれる人柄を私は慕っていました。

 

先生は検事出身ですべての書類を手書きするのがこだわりで、その文字も達筆でした。酒は一滴もやらないがたばこが好き、趣味はカラオケと畑を耕しての野菜作りでした。休日は2筆の畑を軽トラックで行き来して、雑草取りから肥料や水撒き、収穫まですべてを手作業でするのです。高齢だったので私が小型の耕運機の使用を勧めたら、「畑仕事は体を使ってするものだから余計なことを言うな」と叱られたのもいい思い出です。

 

そんな昔気質の先生に「あなたの会社はバッテリーを積まない自転車だ」と言われました。バッテリーを積んでいない自転車というのは、「走り続けないと灯りが点かない」という意味です。つまり「支店ばかり拡張していて余剰金を貯える間がない。それでは何かあったときに経営がもたない」という指摘です。私はそれもそうだと先生の例え話に妙に感心しました。

 

確かに指摘されたとおり、それまでの10年は出店に力を入れてきました。出店に要する人材を増やすことも出店費用を捻出することも自己資金でできており、その投資分は売上増でカバーできていたので、私としては不安はありませんでした。東海3県に年間5支店前後出店するという強気の経営を続けていました。

 

しかし、外部から見れば危なっかしく感じられたのかもしれません。帳簿のうえでは利益が出ているものの手元にキャッシュがない「勘定合って金足らず」という事態も確かにありました。

 

事業には一気に勝負をかけるときと、じっくり腰を据えて勝負すべきときがあります。私たちの会社は1998年頃までが資金投入をして一気に拡大するフェーズで、そこから先はおちついて一つひとつのエリアに根を下ろし利益を収穫するフェーズであると考えていました。

 

押さえておかなければならないエリアにはひととおり出店を終えて、そろそろ区切りをつけようと思っていた矢先にW先生から示唆に富んだ言葉をもらい、改めて財布のひもを締めるときだと悟りました。実際その後は事業計画どおりに投資額に見合った利益が積み重なっていきました。

コンビニ販売スタートで、実売3万8000部記録

1990年代になると、都市部ではコンビニがあるのが当たり前の光景になりました。

 

コンビニは日本では1970年代から1980年代にかけて急速に発展し、1990年代にピークを迎えます。雑誌類の販売は書店からコンビニに主戦場が移りました。今まで書店で雑誌を買っていた人たちが、コンビニで飲み物や食べ物を買ったついでに雑誌を買っていくようになったためです。書店自体も後継者がいなくて閉店したり、ほかの業種に転換したりして減少していました。

 

「アパートニュース」も1989年に取次経由でコンビニ各社への納入を開始しました。書店での売上は減少が続いていましたが、それをカバーして余りあるだけコンビニでの売上が伸びたため、全体としては大きく売上増となっていました。

 

そして、1992年1月15日号で過去最高の販売数を記録します。4万部を発行して実売3万8000部、返品は2000部のみという大記録です。

 

コンビニ納入では3代目編集長の活躍が大きかったといえます。彼は1979年に入社し、8年間営業畑を経験したあと、1987年4月にアパートニュース出版(APN)に係長として異動してきました。

 

彼は出版・印刷の業界は初めてであり、加えて自分の目で確かめないと納得できない質であったため、印刷や製版会社にアポイントメントをとっては各工程を見学させてもらい勉強をしていました。取引先とは一定の距離をおきたい性質の編集プロダクションの高見社長には何度も叱られていましたが、それでもめげずに関係を構築しようとする彼に私はタフさと仕事への熱意を感じたものです。

 

また彼は広告全般についても学ぶため、来社するすべての代理店営業マンに会って話を聞き、その面談数は数年間で百数十社にも及びました。数々の営業マンを見てきたおかげで、彼はセールスマンの善し悪しがすぐに分かるようになったと言います。

 

そのようにして印刷・編集・広告について勉強をして実務に活かすと同時に、彼は雑誌の販売にも力を注ぎました。

 

例えば当時ある取次業者の担当課長とうまく信頼関係を築けずにいた彼は、相手への苦手意識をなくすために、用事の有無にかかわらず週2回ほど先方を訪問しては、とにかく課長の隣に置いてある来客用の椅子に座るという奇策に出ました。

 

そのうちに課長から夜の一杯に誘われるようになります。酒に弱いものの課長との飲み会には喜んで付き合い、1年も過ぎる頃には課長からあだ名で呼ばれる仲になりました。

 

その頃コンビニへの納入は自社で直接納品をしていたのですが、1店舗ごとに発送する数量を確認して宛先を指定するなどかなりの手間と費用がかかります。そこで彼は、課長に全コンビニを対象に取次経由にできないかと相談を持ち掛けました。すると課長は「おーそうか」と快諾し、東京本社のコンビニ担当者、雑誌担当者、仕入れ担当者、納品受け入れ担当者などを紹介してくれたのです。

 

打ち合わせを重ねた結果1989年に全コンビニ搬入を取次に変更することができ、一挙に配本冊数が増えたうえに自社の配本コストも安く抑えることに成功したのです。

 

それからも毎年コンビニの数は増え続け、やがて「アパートニュース」の実売数自体もピークを迎えることになっていきます。

 

 

加治佐 健二
株式会社ニッショー 代表取締役社長

 

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株式会社ニッショー 代表取締役社長

1947年宮崎県生まれ。
工業高校卒業後、18歳で愛知県名古屋市の醸造機器メーカーに就職し、製造現場に勤務。

1976年7月、高校時代の友人が名古屋で創業した賃貸仲介専門の不動産会社、株式会社日正に28歳で転職、営業部に配属となる。翌年4月、編集企画課に異動し、東海エリア初となる賃貸住宅情報誌を創刊。その後、営業本部長を経て1983年に株式会社日正の代表取締役社長に就任。

現在はニッショーグループの代表としてホールディングスを統括している。

著者紹介

連載賃貸仲介・管理業一筋50年…必勝の経営道

賃貸仲介・管理業一筋50年 必勝の経営道

賃貸仲介・管理業一筋50年 必勝の経営道

加治佐 健二

幻冬舎メディアコンサルティング

メーカーから転職して1976年に28歳で営業職として入社し、充実した日々を送っていた筆者。 その矢先、突然社長と常務から呼び出され「東海エリア初の賃貸住宅情報誌の創刊」を命じられたのです。 そして右も左も分からな…

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