昭和時代、不動産会社社長が自ら参加した「スパルタ式管理者教育合宿」の効果・効能

昭和時代の名古屋。ある不動産会社の営業マンは、実績を積んで社長に上り詰めます。経営者の立場になって人脈も広がり、いよいよこれからというときに、中堅社員が他社からヘッドハンティングされ、大量に離職。社員の意識改革を進めるべく選び、自身も飛び込んだのが、スパルタ式の管理者教育合宿でした。果たしてその効果は――。

自社の中堅社員、ヘッドハンティングされて大量離職

すべてが順調に進んでいると思っているときほど、足をすくわれやすいといいます。私も社長になって4~5年が経つ頃、まさにそんな経験をしました。

 

支店数は22支店となり社員も総勢140名になっていた1988年、私はロータリークラブに入会し、経営者として人脈や活躍の場を広げつつありました。ロータリークラブはいわゆる経営者層の人たちが集まる国際的な社会奉仕の連合団体です。自分が会員になるなど思ってもいませんでしたが、名南経営の佐藤社長の紹介で入会することになりました。私が会員として活動することが会社のためになると考えたからです。

 

この頃、今から思えば私は有頂天になっていました。地位も名誉も資産もある人たちとお近づきになることで、自分も少し上質な人間になれたように錯覚していたのだと思います。

 

そんなとき、支店長や係長クラスの退職が相次いで起きました。最初の1名2名は気づかなかったのですが、さすがに3名4名と続くと「何かおかしい」と分かります。

 

周りから漏れ聞く話では関西のある商社系が私たちの会社の人材をヘッドハントしているようでした。支店長や係長クラスを誘うことで彼らがもつ人脈やノウハウごと引き抜き、新たに賃貸仲介会社を起業しようという魂胆でした。自分たちで一から人脈やノウハウを構築するより、すでに出来上がったものを引っ張ってくるほうが楽で失敗しにくいと考えたに違いありません。

 

悪質な引き抜きは許せませんが、他社から目を付けられるほどに私たちの会社が成功しているように見えたのだといえます。

 

私が油断している隙に社内人脈に巧みに入り込まれたらしく、気づいたときには相当数の中堅社員がいなくなっていました。私はまったく自分の足元が見えていませんでした。

 

思い起こせば私も営業マン時代(入社半年の頃)に、ある不動産管理会社に誘われたことがありました。この会社が好きだったことから気持ちが揺らぐことはなく、その場で丁重にお断りしたのですが、昔からこの業界は引き抜きが珍しくありません。そのことを私は忘れて油断していたのです。

 

出ていった者たちは3年ほどあとに半数が転職先を退職したとのことです。聞くところによると引き抜かれるときに「今より高い報酬を出す」とか「もっと上のポストを用意している」などうまい話をされていたようです。しかし実際に転職してみると苦労や失望のほうが大きく長続きしなかった、とのことでした。

 

取引先からは大いに同情されましたが、優秀な社員がたくさん残っていることが心強く、今いる社員を大事にしようという想いになりました。社員の引き抜きは高い授業料でしたが、これをきっかけに社内の結束がより強まり、残った社員たちが今まで以上に会社を盛り上げようと業務に励んでくれたことは大きな収穫でした。

社長自ら「スパルタ式の管理者教育合宿」に志願し…

私は社名をカタカナ表記に改称した頃からCIを社員の一人ひとりに浸透させるため、社員教育に力を注いできました。社員の流出を経験してからはなおのこと社員の意識改革に努めるようになりました。

 

ただトップダウンであれこれ社員に言い聞かせても、うまく彼らの心に届かせることはできません。耳で聞いて理解することと、腹の底に落として実行に移せることとの間には大きな差があります。

 

社員に変わってほしいと言う前にまずは自分が率先して変わらなければならないと思い、私は自らある研修に志願して参加しました。その研修というのは、スパルタ式の管理者教育で有名な合宿です。テレビなどのメディアで「地獄の合宿」として何度も紹介されたこともあるので、名前は言わなくてもピンとくる読者も多いかもしれません。

 

私は業務の合間を縫っての参加でしたが、フルコースは2週間の合宿をします。どんな内容かというと、講師の号令に合わせてすばやく起立着席をし、大きな声で挨拶や自己紹介をすることから始まるのです。起立着席は全員が乱れることなく動けるまで繰り返します。挨拶や自己紹介は普通の大声ではダメで、自分が出せる最大限の声でなくては許されません。

 

1日のスケジュールが分刻みで決まっており、一つひとつのあらゆる動作を機敏かつ丁寧にすることを求められます。仮に脱いだ靴が少しでもそろっていなければ、講師によって靴を校庭に放り投げられ、もちろん本人が裸足で取りに行き、寸分の狂いなくピシッと並べるまで次の作業に移れません。

 

あるいは人通りの多い駅前に立って人目に晒されながら、大声を張り上げて合宿の歌を歌う訓練などもありました。これは人前で臆さず自分の意見を言えるように度胸を養う目的があります。

 

こうした訓練が朝5時半から晩22時半の就寝まで続きます。噂にたがわず軍隊並みの厳しさでした。私とは別のグループでは、あまりの過酷さに途中で逃げて帰った人もいたようです。

 

「そんな訓練で管理者として何が学べるのか」といった懐疑的な意見もあるかもしれません。しかし私は参加して良かったと思っています。管理者はこうあるべきというのが言葉ではなく体で学べました。また、普段きちんとできているつもりでも結構いい加減にこなしていることが多いことに気づきました。自分にはもっと努力や工夫ができると分かったことや、小さなことでも一つひとつ心を込めてやることが大事だと知ったことはリーダーとして大きかったと思います。

 

私は自分が体験してきたことを全社で共有するために、次に幹部や管理職を同様の合宿に行かせました。川の水が上から下に流れるように、上層部が意識改革することで社内の空気が変わり、その下で働く一般社員たちにも効果が広がりやすいと考えたためです。

 

ある幹部の一人は合宿で衝撃的な場面があったと言っていました。みんなの前でラジオ体操を最初から最後まで通して行うという訓練の際、ある参加者(業種も年齢もさまざまな人が集まってきます)が泣きだしたというのです。

 

その人は学生時代から慣れているはずのラジオ体操なのに次の動作が思いだせず、何度も同じところで体の動きが止まってしまいます。5回6回とやり直しをするのですが、うまくできない自分が不甲斐なく、悔し涙がこぼれてしまったのでした。大人の男が子どものように顔を真っ赤にして泣きじゃくるのを初めて見たと、その幹部は言っていました。多かれ少なかれ参加した者はカルチャーショックを受けて帰って来ました。

 

私がこうした体験型の社員研修を取り入れた理由は、一般的な研修は机上のもののみで身につきにくいことを感じていたからです。変化と刺激のある研修のほうが飽きずに学べます。ただ、みんなが嫌がるようなハードな研修は上司が率先して行って見せることが大事です。

 

この合宿は数年にわたって参加し、ある程度の効果も実感していました。しかしやがて時代にそぐわなくなってきました。平成・令和に入り社員の自主性や多様性を重んじる風潮が強まるにつれ、スパルタ式の管理は旧式のマネジメントとなったのです。現在では新しい研修を実践しています。

 

 

加治佐 健二
株式会社ニッショー 代表取締役社長

 

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    株式会社ニッショー 代表取締役社長

    1947年宮崎県生まれ。
    工業高校卒業後、18歳で愛知県名古屋市の醸造機器メーカーに就職し、製造現場に勤務。

    1976年7月、高校時代の友人が名古屋で創業した賃貸仲介専門の不動産会社、株式会社日正に28歳で転職、営業部に配属となる。翌年4月、編集企画課に異動し、東海エリア初となる賃貸住宅情報誌を創刊。その後、営業本部長を経て1983年に株式会社日正の代表取締役社長に就任。

    現在はニッショーグループの代表としてホールディングスを統括している。

    著者紹介

    連載賃貸仲介・管理業一筋50年…必勝の経営道

    賃貸仲介・管理業一筋50年 必勝の経営道

    賃貸仲介・管理業一筋50年 必勝の経営道

    加治佐 健二

    幻冬舎メディアコンサルティング

    メーカーから転職して1976年に28歳で営業職として入社し、充実した日々を送っていた筆者。 その矢先、突然社長と常務から呼び出され「東海エリア初の賃貸住宅情報誌の創刊」を命じられたのです。 そして右も左も分からな…

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