IT時代を先取りした「編集のデジタル化」
1992年頃の支店数は34支店ほどでしたが、各支店は売上がよく本業で手いっぱいのため、「アパートニュース」に載せる物件原稿の提出が〆切ギリギリになることが多くありました。毎回夜遅くになって生原稿が編集部に届き、そこから短時間で間取図をトレースするなどの作業をすることになります。
当然のことながら作業は深夜に及び、若い女子社員の親からは「何時まで働かせるのか!」とのクレームの電話をもらうこともたびたびありました。今なら労務上の問題になりますが、当時は製薬会社の滋養強壮ドリンクのCMで「24時間戦えますか」が人気フレーズになった時代なので、みんな気合で仕事をしていました。
しかし、いつまでも気合に頼るわけにはいきません。編集作業の短縮を検討するなかでコンピューターを活用できないかという意見が出ました。編集作業のデジタル化に関しても中心となって頑張ってくれたのが、三代目編集長のN氏です。
当時のDTP(コンピューター上で印刷物の制作を行うこと)ではMacが主流でしたが、会社のホストコンピューターはオフコンでした。オフコンとは1960年代から90年代頃まで活躍したオフィスコンピューターのことです。事務処理の用途に特化した中型コンピューターなので、DTPには適していません。
その点では1985年に発売されていたWindowsのほうがデータのやり取りがしやすいということで、Windows対応のDTPソフトを探したところ、富士電機総設のCATSというソフトの存在を知りました。ただどの程度使えるソフトなのかが分からないため、ひとまずテスト導入をしてみることになりました。
当時、Windowsの最高性能マシンは当然ながら高価でした。CATSを動かすためにはAutoCADという汎用ソフトがベースとして必要で、ソフト代がそれぞれ100万円強します。そこに間取図作成用のタブレットなどを加えると、1セットで約500万円の高額なシステムになりました。
それを4セットとサーバーを導入してのスタートなので、なんと3000万円弱もかかりました。中小企業にとっては大きな投資ですが、勝負が必要なときには恐れずリスクを取るという大胆さが経営者には大事です。
その頃のAPNは情報システム部とともに本社前にあるビルの3階にあったので、情報システム部にお願いして毎号掲載する物件の選択を端末からできるようにシステムを整えてもらいました。また掲載する物件の必要な情報をオフコンからAPNのサーバーに取り込み、不足分のみ手入力すればよいようにしてもらったのです。間取図については手書きでトレースされたものをCADで作図し直してサーバーに蓄積していくのですが、これが大変な作業でした。そのため、CADで間取図を作成し直す専門の人材を派遣会社に依頼して、間取図のデジタル化を進めていきました。
同時に、各ページのデータから直接版下を出力することにもチャレンジしました。デジタル化以前の工程では、物件名などの入った原稿とトレースした間取図および写真を編集プロダクションに渡し、そこで家賃条件などの写植(文字を印画紙に焼きつけたもの)を印刷原稿の台紙に貼って版下を完成させていました。
そのページのコピーをAPNで校正し、次に製版会社で写真を加えた青焼き原稿(印刷される前のフィルムから校正紙に複写したもの)をAPNで校正し、校了したものを印刷に回すという手順でした。
これを1995年から2年ほどかけて、デジタルデータで渡せるようにしていきました。
この当時、多くの物件データ(文字・間取図・写真)をデジタルで保有していた不動産業者は全国でもほとんどなかったはずです。
実際、1999年2月にNTTドコモでiモード(日本初の携帯電話用ネットサービス)がリリースされた際、8月に間取図入りで多数の物件検索コンテンツを提供したのは私たちの会社だけでした。
この頃は不動産業者に限らず全事業者でまだデジタルコンテンツの準備ができていなかった時代で、iモードのコンテンツのリストには10件ほどしか並んでいませんでした。全国区のリストの上位に、東海の小さな不動産会社である当社のコンテンツ「アパートニュース」が存在感を放っていたのです。
創刊時からのパートナー企業との別れ
デジタル化の推進に当たりN氏は、創刊からパートナー関係にある編集プロダクションのユリイカにもデジタル化してもらえたらという希望をもっていました。彼らがデジタル化してくれればデータのやり取りが効率化されるからです。しかし、彼らはアナログでの制作に慣れていたため、わざわざお金をかけてデジタル化することにあまりメリットを感じなかったようでした。
デジタル化によって仕事の工程が効率化したことは編集プロダクションにとっては不幸なことでした。というのも、彼らに今までお願いしていた作業工程がAPNでできてしまうからです。結果として、私たちの会社にとっての編集プロダクションの存在意義は弱まってしまいました。
彼らは創刊時から苦楽をともにしてきたパートナーであり、出版への道を開いてくれた恩人でもあったので取引関係が消滅してしまうことには心が痛みました。しかし、時代の流れには逆らえません。
彼らとの取引を解消するに当たってN氏は私に相談することも考えたようですが、あえて独断で事を運びました。相談すれば義理を重んじる私を苦しませることになると慮ってのことでした。あとになってN氏から「編集プロダクションを切ると決めたら鬼になってやり抜かなければならない!」との覚悟だったと聞かされました。
加治佐 健二
株式会社ニッショー 代表取締役社長