昭和の名古屋。不動産会社発の住宅情報誌刊行で実績を積み、営業本部長となった元営業マンが最初に着手したのは「宅地建物取引士」の取得強化でした。この施策に踏み切った数年後、法改正により宅建士の重要性は増し、自社での教育制度の充実と、資格保持者の採用が実を結ぶことになります。

 

55歳以上の資格者の活躍が、社員の意欲向上に

社員に資格取得を促すだけでは宅地建物取引士の補充が追いつかないため、有資格者の採用も並行して行いました。1988年には支店が22に増えており、支店展開のスピードがさらに上がってきたためです。2年後の1990年には業法改正の実施が控えており、宅地建物取引士の人員配置数が増えることになります。改正後のことを考えれば、支店あたりの宅地建物取引士の数は余裕をもって3名以上にしたいところです。

 

そこで社内に嘱託社員制度を新設し、55歳以上の有資格者に向けて職業安定所(ハローワーク)などに採用募集をかけ、この制度を使って2003年までに合計47名の嘱託社員を採用しました。

 

嘱託の宅地建物取引士たちには、賃貸借の契約締結前の重要事項の説明を本来業務としてお願いしていましたが、仕事熱心で真面目な人ばかりで社員にとって大いに刺激になりました。また、嘱託の宅地建物取引士に重要事項の最後に家財保険への加入(年間保険料1万円程度で加入は任意)も担当してもらうと、彼らの誠実な態度のおかげで契約者の8割ほどが加入をしてくれるようになりました。

 

さらに50代から70代の宅地建物取引士を対象とした保険成約率の表彰制度をつくったところ、それを目標にますます努力する人が増えました。彼らは若い社員たちに交じって仕事をすること、まだまだ第一線で活躍できることに自信と誇りを感じていたようでした。

昇任の必須条件に宅建資格を制定…有資格者は50%超に

宅地建物取引士の試験は毎年社内から60名から80名程度が受験しましたが、狭き門で不合格者も多くいました。一人でも多くの宅地建物取引士が欲しいのに、試験に落ちると再チャレンジが1年後になってしまいます。そこで合格率アップを図るため会社としても社内研修を実施して受験のバックアップをしました。本社の会議室の一室を勉強部屋として割り当てていましたが、布団を持ち込んで勉強した者もいます。

 

1998年頃からは宅地建物取引士の資格取得を、支店長や係長以上に昇進する必須条件として制定しました。

 

一発で合格する者もいれば10回目の受験でようやく合格をつかみ、次長にまで昇格していった社員もいました。

 

会社を挙げて資格取得に取り組んだ結果、現在の有資格者は、グループ社員総数の53.3%にまで増えました。

 

 

加治佐 健二
株式会社ニッショー 代表取締役社長

 

賃貸仲介・管理業一筋50年 必勝の経営道

賃貸仲介・管理業一筋50年 必勝の経営道

加治佐 健二

幻冬舎メディアコンサルティング

メーカーから転職して1976年に28歳で営業職として入社し、充実した日々を送っていた筆者。 その矢先、突然社長と常務から呼び出され「東海エリア初の賃貸住宅情報誌の創刊」を命じられたのです。 そして右も左も分からな…

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