(※写真はイメージです/PIXTA)

日本経済の成長が止まった1990年代に一体何があったのでしょうか。1990年代に発生し、企業の生産性に決定的な影響を及ぼす出来事と言えば、それはパソコンの普及、言い換えればビジネスのIT化以外に考えられません。経済評論家の加谷珪一氏が著書『縮小ニッポンの再興戦略』(マガジンハウス新書)で解説します。

日本メーカーの競争力が大幅に低下

■日本の成長は「1990年代」でストップした

 

戦後の成長が偶然だったという仮説を前提に、なぜ1990年代以降、日本経済はダメになったのか、そしてどうすれば必然の成長を実現できるのかについて議論していきます。

 

日本の高度成長が、輸出という外部要因で実現したというメカニズムについては、日本は工業製品の需要増大という世界経済の流れにうまくマッチし、中国の共産化による生産力の急低下という幸運が重なったことで、世界の工場としての地位を確立することができました。

 

ところが1990年代以降、日本経済はパッタリと成長を止めてしまいました。これまで成長できていた国が、ある時期から急に成長できなくなる理由というのは2つしか考えられません。ひとつは、1990年代を境に日本人あるいは日本経済が突如、その振る舞いを変えた可能性です。もうひとつは日本経済の振る舞いが変わったのではなく、逆に世界経済の方が変化した可能性です。

 

1990年代になって日本社会が突如、大きく姿を変えたわけではないことは、多くの人が実感として理解していると思います。そうなると必然的に、日本ではなく世界の方が変化した可能性が浮上してきます。実際、日本経済は1990年代に発生した世界経済の大きな変化に対応できず、一気に取り残されてしまったのです。

 

世界の状況が大きく変わり、日本がその変化について行けなかったことは、日本の輸出シェアを見れば一目瞭然でしょう。

 

下図は全世界の輸出に占める各国のシェアを比較したグラフです。1990年代以前の日本は順調に輸出シェアを伸ばし、80年代にはドイツと拮抗するまでになりました。

 

日本が輸出シェアを順調に拡大できたのは、本書において何度も指摘しているように、全世界的に工業製品に対する需要が高まり、戦後、安価に大量の工業製品を生産できる国が日本だけだったからです。

 

ところがどういうわけか、1990年代以降、日本は急激に輸出シェアを落とし、現在ではわずか3%台と低迷しています。中国の躍進は言うまでもありませんが、ドイツが現時点でも8%近くのシェアを維持しているのとは対照的です。

 

グラフを見れば明らかですが、1990年代以降、日本の輸出環境に大きな変化が生じたことで日本メーカーの競争力が大幅に低下。輸出主導型経済だった日本は一気に成長力を失ってしまいました。

 

実は1990年代には、もうひとつ大きな変化がありました。それは日本における労働生産の伸び悩みです。生産性というのは企業が生み出す付加価値を労働力(労働時間×労働者数)で除したものです。

 

成長理論では、ある国の経済成長は、資本(K)、労働(L)の投入量で決まるとされています。しかし同じ資本と労働を投下したからといって、どの国でも同じ成長率になるとは限りません。その差分を決定するのがテクノロジーを中心としたイノベーションの度合いです。

 

加谷珪一著『縮小ニッポンの再興戦略』(マガジンハウス新書)より。
加谷珪一著『縮小ニッポンの再興戦略』(マガジンハウス新書)より。

 

次ページビジネスのIT化が日本の成長を止めた

本連載は加谷珪一氏の著書『縮小ニッポンの再興戦略』(マガジンハウス新書)から一部を抜粋し、再編集したものです。

縮小ニッポンの再興戦略

縮小ニッポンの再興戦略

加谷 珪一

マガジンハウス新書

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