「男は会社、女は家庭」が生んだ男性の“大きなハンデ”
以前、「老いの工学研究所」の会員向け情報誌『よっこらしょ』の取材で、歌手の加藤登紀子さんに高齢期の生き方についてインタビューをしたことがあります。その際に次のように話されました。
「“生活力”には2つあるんです。ひとつはお金を稼ぐ力。もうひとつは、自分の身の回りのことがちゃんとできること。これはどっちも大事なんだけど、みんな“生活力”って言えば稼ぐことだと思い込んでしまってるのよね、この国は。日本の男はダメね。“2つ目の生活力”がないから。
特に、高齢者に必要なのは“2つ目の生活力”なのよ。だから、仕事をやめて稼がなくなったら、生活力がなくなっちゃってるでしょ。男性は依存し過ぎだし、依存しているという自覚さえない男性が多いわよねー。」
妻に先立たれて、一気に衰えが進んでしまう男性が多いのは、加藤さんの言われる「2つ目の生活力」の無さも大きな原因でしょう。長年、男女分業を続けてきて、家事を下に見る価値観が染みついてしまった結果だと思いますが、相変わらず家ではゴロ寝を決め込み、家事をやろうともしない。
インタビューをすると、「主人は何も自分でできないから」「何もしてくれないから」と嘆いたり、怒ったりしている高齢女性は本当に多くいますが、なかなか男性は変われません。加藤さんの指摘通り、男性は「仕事をやめて稼がなくなったら、生活力がなくなっちゃってる」わけです。
そして昔から言われるように、「男やもめにウジが湧き」、夫が亡くなったあとは「女やもめに花が咲く」となるのでしょう。
「男は会社、女は家庭」は、男性が高齢期に暮らす場所とずっと離れていた(実質的に地域に暮らしていなかった)という意味でもあります。
女性はこれまでと同じ場所で暮らせるわけですが、男性はあまりよく知らない人たちと初めてのことをしなければならなくなります。
この点も「男は会社、女は家庭」という分業が生んだ男性の大きなハンデとなっています。男性は定年したあと、能力や時間を持て余し、地域との付き合いも難しく、家に閉じこもりがちになる人が多くいます。
少し田舎にいけば、消防団や自治会などの地域活動や年中行事などで男性の役割があったりしますが都市部ではなかなかそういった場はありません。
「男は会社、女は家庭」の固定化は、男性から「2つ目の生活力」を奪ったこと、「地域の共同体を持てなかったこと」の2つの点で、男性高齢者の高齢期の暮らしを厳しくしてしまったと言えるでしょう。