イラストレーション=メイ ボランチ

1219年1月、大雪の夜、3代目「鎌倉殿」実朝は鶴岡八幡宮に参詣しました。参拝を終え、外に出た実朝を刺客が襲ったのです。実朝の首をはねたのは、頼家の子・公暁でしたが、いつものうように黒幕の存在が噂されました。大迫秀樹氏が著書『「鎌倉殿」登場! 源頼朝と北条義時たち13人』(日本能率協会マネジメントセンター)で解説します。

実朝暗殺には黒幕がいたとする説が浮上

■実朝暗殺の謎!?

 

1219年1月、大雪の夜でした。

 

3代目「鎌倉殿」実朝は、右大臣就任をご先祖さまに報告するため、鶴岡八幡宮に参詣しました。参拝を終え、外に出た実朝を刺客が襲ったのです。

 

実朝の首をはねたのは、頼家の子・公暁でした。

 

公暁は政治の表舞台に出ないまま、祖母・政子のすすめで出家し、鶴岡八幡宮のトップ(別当)になっていたのでした。このとき、公暁が「親の敵を討ったぞ!」と大声で叫んだという話と、まわりに気づかれることなく、すぐ逃走したというふたつの話が残されています。

 

公暁にとって実朝は叔父です。それどころか、公暁は実朝の猶子(親子関係に等しい養子)になっていました。なぜ、そんな近い身内に手をかけたのでしょうか?

 

実は公暁の乳母夫は三浦義村でした。野心家の公暁は犯行直後に三浦邸を訪れ、〈将軍はいなくなった。おれが「鎌倉殿」にふさわしい〉と語ったといわれます。そのため、おのずと次のような声が出てきます。

 

〈三浦義村が裏で糸を引いていたんじゃないの? 義村は策略家で、裏切りの前科もあるからなぁ〉

 

事件の現場に、義村はいませんでした。義村は実朝の殺害を公暁に任せ、自身は北条義時を討つ予定だったのでは、という説です。

 

もうひとり、そこにいてしかるべき幕府のキーパーソンもいませんでした。

 

義村のターゲットだった、かもしれない北条義時です。義時は参詣の直前に心身の不調を訴え、自館へ帰っていたのでした。

 

義時の代わりに実朝のお供を務めたのは、源仲章でした。実朝が討たれたとき、仲章も巻き込まれて亡くなりました。そのため、仲章は義時と間違えられて殺されたのでは、という説もあります。義時はたまたま命拾いしたというわけです。

 

そんなあんなで、こんな声も出ています。

 

〈事件の直前に北条義時が姿を消すのは怪しすぎる。黒幕は義時に違いない!〉
〈いや、公暁は実朝と義時のふたりを討とうとした。やはり三浦義村が黒幕だよ〉
〈義時が実朝を討つ理由なんてあるのかなぁ? 公暁は出家したのに、髪を下ろさず、まわりから奇異な眼で見られていた。ココロを病んでいた公暁の単独犯じゃない!?〉

 

まるで米大統領ケネディ暗殺事件のようです。実行犯のオズワルドは、まもなく警官に撃たれ、即死しています。現在までさまざまな陰謀説が語られてきましたが、少なくとも現場に限って言えばオズワルドの単独犯だったことは疑いありません。

 

同じく、3代目「鎌倉殿」暗殺事件も、公暁が実行犯であり、現場においては単独犯でした。さらにオズワルドと同じく、公暁は(義村が送った?)追っ手に討たれ、即死しています。享年は、ケネディ46歳、オズワルド24歳。比して、実朝28歳、公暁20歳でした。

 

次ページ政子・義時姉弟が4代目「鎌倉殿」に

※本連載は大迫秀樹氏の著書『「鎌倉殿」登場! 源頼朝と北条義時たち13人』(日本能率協会マネジメントセンター)から一部を抜粋し、再編集したものです。

「鎌倉殿」登場! 源頼朝と北条義時たち13人

「鎌倉殿」登場! 源頼朝と北条義時たち13人

大迫 秀樹

日本能率協会マネジメントセンター

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