イノベーションとは、革命ではなく「進化」である
イノベーションは革命でも創造的破壊でもありません。そのような劇的なものではなく、試行錯誤による淡々とした連続的な進化です。それは素朴にイメージされてきたようなレボリューション(革命:revolution)ではなくエボリューション(進化:evolution)なのです。
このことは、3人の日本の科学者がそろってノーベル物理学賞を受賞した高輝度青色LEDの発見についても当てはまります。
100年以上かけて実用化されたLED照明
LEDの歴史は今から100年以上も前の1906年に遡ります。
きっかけはイギリスの科学者ヘンリー・ジョセフ・ラウンドが炭化ケイ素に電流を流すと黄色く光ることを発見したことでした。
その後、アメリカの科学者ニック・ホロニアックが赤色LEDを発明します。さらにその後、日本の半導体研究の先駆けである西澤潤一氏によって実用レベルの赤色、緑色LEDが開発され、橙や黄緑などの各色のLEDが誕生しました。
照明に適した白い光を生み出すためには、光の三原色である赤、青、緑が必要です。赤と緑はすでにありました。そこで世界中の科学者がまだ手に入っていない青色LEDの研究に取り組み、それをついに実現したのが日本の3人の科学者だったのです。
まず赤﨑勇氏と天野浩氏が青色LEDの主要な材料として世界で注目されていた窒化ガリウムの高品質結晶の作製に成功します。発見の最終段階で重ねた実験回数は、2年間で1500回を大きく超えるものだったといわれています。
しかし、この段階ではまだ実用化できるレベルの高輝度な青色LEDは手に入っていませんでした。これを実現したのが中村修二氏(現在は米国籍)です。
中村氏は窒化ガリウムの大きな結晶を作製するために窒化物半導体がもつ特殊な性質である「結晶の不均一性」に着目しました。一見不適切に考えられるサファイア基板上に窒化ガリウムの薄膜を成長させることを考え、装置そのものの改良も行いながら、足かけ2年の歳月をかけて高品質の窒化ガリウムの結晶膜の作製に成功しました。
中村氏は毎朝まだ日が昇らない時間に研究室に入り、来る日も来る日も前夜に構想した実験に着手し、そして夕方思うような結果が得られなければその可能性を捨て、翌朝は別のチャレンジをしたといわれています。あらゆる研究論文に目を通し、それらにヒントを得て材料を変え装置そのものを改良して実験を繰り返すという地道な努力の日々を重ねていたといわれているのです。
こうした実験を繰り返した結果、中村氏は高品質の窒化ガリウムからなる圧倒的な性能の半導体デバイス作製についに成功します。
かつて誰もなしえなかった科学的ブレイクスルーです。欲しい結果に対し、試行錯誤と実験を繰り返し、狙ったとおりの科学的成果を得たのです。
ただし、科学的ブレイクスルーは「出発点」にすぎない
この科学的ブレイクスルーは人類による真理の探究に向けた多数の仮説と実験による検証の試行錯誤から見出されるものです。ギリシアの時代から今日までの科学の発展はそれら真理の発見を継続的に積み上げてきたものだということができます。
しかしそれ自体がイノベーションではありません。
仮説と検証から見出された科学的発見と、それが社会に浸透していく過程としてのイノベーションはまったく異なるものです。科学的ブレイクスルーがなければイノベーションは起こりません。しかし科学的ブレイクスルーはイノベーションへの出発点にすぎません。
青色LEDが実用的な照明の光として社会に浸透していくというイノベーションが起こるには、まずは科学者によるブレイクスルー、特に3人の卓越した科学者の先導的な業績がありました。そして後続する多くの人の試行錯誤があってはじめてLED照明として、照明のイノベーションとして浸透していったという一大プロセスだったのです。
「試行錯誤の積み重ね」がイノベーションに繋がる
大切なことは誰かがさあこれでイノベーションを起こそうと思って設計したり、実験していたのではないということです。
進んでいたのは目の前の事象の改良、変化のための試行錯誤だけです。思いどおりの結果が得られない実験は、次々と淘汰されます。青色LEDを例に挙げれば、関連特許もゆうに1000を超える数があり、細かい技術特許候補は無数にあります。やがてそれらの試行錯誤のなかから生き残る技術が出てきます。それが製品として成熟し、市場で受け入れられる価格、社会情勢になればいよいよ社会のなかに浸透していくことになります。この一連のプロセスがイノベーションです。
高輝度青色LEDの発明でノーベル物理学賞を受賞した3氏に限らず、日本だけでもおそらく何百人という研究者、企業関係者が関わって初めてLED照明の実用化が達成されました。イノベーションは集団作業であり、本格的な社会実装と普及にはさらにけた違いに多くの人間の関与があるということです。
LED開発に関わった誰にも“天才的なひらめきに導かれた一発勝負”のようなものはありませんでした。あったのは3氏を始めとする多くのエンジニアが繰り返した失敗と、それに対する洞察と粘り強いチャレンジだけです。そして無数のフォロワーがイノベーションを成就するのです。
太田 裕朗
早稲田大学ベンチャーズ 共同代表
山本 哲也
早稲田大学ベンチャーズ 共同代表