今進行する日本版「イノベーション」への疑問
科学的ブレイクスルーに始まり、制度的な環境(institutional rule)に支えられた多くのトライアンドエラーが包括的な経済(inclusive economy)を形成する――このサイクル、つまり、安定して反応が進む「るつぼ」こそが、イノベーションを生む状況のイメージの中心です。
それはあたかも何世代も超新星爆発を経験し、何度も惑星系が再構築されたのちに十分な元素の多様性をもって地球が生まれたのにも似ています。
ある反応が起こり、その結果がまた反応を起こし、続いていく。そのためにはある数の参加者がいてそしてその場にとどまり、トライアンドエラーを繰り返していくというある程度の場の密度が必要なのです。
イノベーションを生む「るつぼ」が、現在の日本で形成されているのか。現状についていくつかの点を指摘したいと思います。
必要なのは「~戦略会議」ではなく、自由に議論する場
問題点①あらかじめ書かれたシナリオの下でイノベーションは生まれない
「~戦略会議」といった社会の将来を先導するような会議や委員会などは民間の有識者を入れて官主導でつくられることが多く、新聞やメディアでも盛んに取り上げられます。実際、それに参加しメンバーとなって動く人は多いようです。
しかし、ここで得られる方針そのものが確実にイノベーションにつながるわけではないと思います。
なぜなら極めて多様な選択肢があるにもかかわらず限定的にシナリオをつくっているケースが多いからです。または、すでに起こりつつあるブームをより大きな発言として取りまとめているにすぎない場合もあります。これらは場合によっては可能性のあるものを排除してしまうことにつながり、別のアイデアがある人のインセンティブを損ない、包括的な多様性を阻害するかもしれないからです。
日本経済団体連合会(経団連)は、政府提唱のSociety 5.0をアクションプランとして具体化した提言「Society 5.0 ―ともに創造する未来―」をまとめました。
これは科学技術政策に対する一つの方向性として間違ってはいないでしょう。しかし過度に組み立て過ぎているために、進化プロセスで必要なトライアンドエラーが働きにくくなる危険性をはらんでいます。もし、そのシナリオと違う優れたアイデアがあったらどうなるのか。違うリスクをとってやろうとする企業があったらどうなるのか。国内の有力企業が共通で掲げるものは果たして必要なのか。こうしたさまざまな検討事項が浮かび上がる可能性があります。すでに決められたテーマや構想どおりに進むしかないとなると、まさにアンチフラジャイルではない状態です。つまりこの提言は単純な頑なさでしかない脆さをはらんでいるかもしれないのです。
しかも、日本の大企業にすべて同じ方向を向かせようとする状況には違和感を覚えます。このような提言で示すべきことは行動の向きを示すことではなく、行動を促す仕組み、トライアンドエラーが進むようにインセンティブや選択性を設計することです。法規制などの阻害要因があれば排除し、アイデアをもった個々人がトライできるような仕掛けをつくることです。
CO2削減や環境保全といったテーマはすでに周知されていることであり、テーマの再掲とそれに関与する当事者を増やすような努力をすればそれでいいと思います。
またもし補助金などで支援し後押しをするのであれば、対象を絞り過ぎないことです。できるだけ広い範囲で提案を受け良いものを選び途中で中断したり修正できるように、また選考に漏れた提案が後日復活できるように選択肢を残すことも大切です。
つまり何かしらの力をもつものが重々しい議論で、その時の判断の成否にこだわりすぎ船頭になってはいけないということです。舞台袖で全体がうまく進む段取りをすればよく、個別のテーマを一定の方向に導くのではなく参加者を増やし、自由に議論する場を保証してうまく運ぶような段取りだけをすべきだと思います。
権力とお金をもった政府関連組織が詳細な中身に踏み込んだとき、その途端に創造性は失われるのです。注意して取り組めば取り組むほど細かい交通整理がされてしまい、トライアンドエラーの芽を摘むように思えます。大切なのは外部環境を整え具体的な変化をもたらすことです。おそらくそれはルールの設計(修正、改良)だけだと思います。この点に長けているのはイギリス政府です。どういうルールをつくれば自国の繁栄につながるのかということに徹底的に知恵を絞っているからです。EU離脱の是非をあれほど議論したのも、まさにイギリスらしいと感じます。
これまで日本において電子レンジの普及やスマートフォンの普及に政府が補助金つけてPRしたり、経団連が音頭をとったりしたことはありません。必要はありませんでした。電子レンジを生み出すような企業が自由に出てくる土壌があったこと、必要な科学技術、特に基礎研究への補助が盛んだったこと、外国の製品を自由に輸入でき活用できる制度があったことが、民間、市場参加者の自然な参画を促してきたのです。
日本はハイブリッド車、ソニーのウォークマン、PlayStation、Nintendo Switch、キヤノンのカメラなど近年までそして今でもテクノロジーに裏打ちされた多くの優れた製品を生み出し世界に供給しています。悲観する必要はありません。より多くのトライアンドエラーに向かって個人や企業が挑戦する社会の仕組みを整え、経済のさらなる発展を促すだけでいいのです。
イノベーションを仕掛けるには「一般市民」が必要
問題点②一般市民の関心を引く魅力がなければ広がらない
イノベーションへの取り組みがごく一部で進む「他人事」のような状況では、結局新たなものが生み出せないという可能性が高いと思います。包括的(inclusive)なものになっていないからです。
うまくいくケースというのはそれが企業間取引であっても高度な技術であっても、一般市民の興味を引くような場合が多いはずです。スマートフォンが普及していく過程を振り返っても、多くの人々の話題になっていました。
10年以上前にソフトバンクが新しいタイプの携帯を販売するときに、写真機能をつけて「写メール」というものを普及させた逸話があります。新たなサービスの受け手である消費者に対する視点の大切さを象徴しているエピソードです。
そのアイデアも社内では電話にカメラが付いていてもわざわざ使う人はいないのではないか、と否定的な意見が多かったそうです。確かに、ただカメラという機能を足すだけではうまくいかなかったと思います。新たなスタイルである「写メール」として添付してテキストメールと一緒に簡単に送れるサービスがあり、話題をさらったからこそ一般の利用者のほとんどがそれを採用して、すぐに不可欠のものとなりました。仕掛けた担当者も想像を超えた普及だったそうです。
もしイノベーションの仕掛け人になりたいのなら、利用者全員に伝播できそうな仕掛けを設けて「伝染率」を上げることが必要です。今人々を包括するものになりかけているかどうかを見定め、どうやら違うようだとなったらそれは余力のある人が模索を続ければいいし、研究としてやればいいのです。イノベーションを目的に今トライアンドエラーを繰り返す対象ではないということだからです。
消費者や市場側は、それに価値があると思えば自ら選択していきます。例えば度重なるトライアンドエラーを経て誕生した青色LEDが、身近なLED照明として世界に普及し、社会実装されていったのは価格が一定の水準になり消費者が購入し始めたからです。電子レンジも太陽光発電も同様です。
自動運転などについてもベンチャーの育成は重要であり、技術を生み出す側を維持しなくてはなりませんが、普及していく段階では採用する市民の側に主導権があると思います。商品の供給側にできることはあまりないのです。その意味でも普及を促す政府の役割をどう定義するべきか、難しい課題だと思います。
太田 裕朗
早稲田大学ベンチャーズ 共同代表
山本 哲也
早稲田大学ベンチャーズ 共同代表