最期まで面倒を見てくれる老人ホーム
■老人ホームは「終の棲家?」。バカも休み休み言ってほしい
老人ホームは、終の棲家である、と言う人が多くいます。これも老人ホーム選びの大きな間違いです。
私が介護職員をしていたころは、家族がホームに見学に来た際、次の殺し文句で、たいていの家族は「よろしくお願いします」と頭を下げたものです。私が家族に言っていた言葉とは「どんな状態になっても、最後まで面倒を見ます。途中で“出て行ってくれ”とは絶対に言いません。だから私のホームにお任せください」です。この言葉を聞いた家族は、安心し、すべてを託してくれました。「よろしくお願いします」と。
そして、残念ですが、今も基本的には、この部分はまったく進化していないと思います。
私は「最後まで投げ出しません。責任を持って面倒を見ます」というフレーズが、多くの家族の心に刺さることに対し、当時から違和感を持っていました。なぜなら、裏を返せば、途中で投げ出されて自宅に返されては家族は困るということだからです。
困った親を老人ホームに入れる家族。この構造は、今も昔もなんら変わっていません。そして、それはいったいなぜなのでしょうか? それは、入居者、つまり自身の親が、自分の生活にとって「厄介な存在」になっているからです。
だから、途中でホームを追い出され、返ってきては困るという前提条件があるのです。「最後まで面倒を見てくれるホーム」。この響きが、子世代にとっては、とてつもなく頼もしく思えるのではないでしょうか。
さらに、この話を考える時は、次のことも頭に入れておく必要があります。それは、ホーム側にとっても“せっかく獲得した入居者をそう簡単に手放すことはできない”〟という経営事情です。
そこで、頭の良い知恵者が次のようなことを考えました。「高齢者、特に認知症の高齢者にとって、生活環境の変化は大きな負担です。時には命取りにもなります。だから、生活の場所を転々としないほうが良いですよ」と。
家族は、「なるほど」となります。一度入居したら、死ぬまでそこにいたほうがいいんだ! という気づきになります。実際、私もそのようなフレーズは、たくさんの相談者や家族に、かつては話し、説明もしてきました。そして、そのたびに、家族は「うん、うん」と頷き、納得していたものです。ある意味、介護業界の常識的な考え方だったと思います。
今にして思うと、家族は、私の言うこのフレーズで、自分の行動や気持ちに対し、折り合いをつけていたのだと思います。自分は、邪魔な存在になった親を老人ホームに入居させている。
その自分の行動に対し、目の前にいる介護の専門職は、自分の背中を押してくれるどころか、自分のやっていることを正当化し、さらに正しいことだと言ってくれている。なんとありがたいことか。このまま、死ぬまでこの老人ホームで穏やかに生涯を終えてほしい、と。