よりクオリティの高い「睡眠の質」を求め、寝具へこだわる人が増えています。しかしそれに伴い、寝具業界は苦境に立たされています。消費者の価値観の多様化、安価な海外製品、日々求められる新商品の発案等で、中小の寝具メーカーはどこも疲弊しているのです。市場の変遷とともに、業界の現状について解説します。

「睡眠の質へのこだわり」は、ごく最近の話

しかし、これほど人間が自分自身の「睡眠の質」に意識を向け寝具の機能面にもこだわるようになったのは、人類の長い歴史を振り返って見てみるとごく最近のことです。

 

私たちの会社が寝具に関わってきたここ数十年の間に限ってみても、人々の寝具へ求めるものは次々に変化していきました。そもそも日本人の多くが私たちの思い浮かべるような綿入りの布団を使えるようになったのは、江戸時代の末期から明治時代にかけてのことだといわれています。

 

現在のものに近い掛け布団は江戸時代の初め頃に関西で登場しましたが、当時の布団は高級品だったため、江戸の市民は天徳寺という藁入りの和紙の布団を使用していたそうです。貧困層は、海藻を乾燥させたものを麻などの袋に詰めたものや、藁を積み上げたものを寝具として使用していました。

 

江戸時代には高級品だった綿入りの布団は、明治時代になってインドなどから価格の安い綿が大量に入ってくるようになると、次第に庶民にも手の届くものになっていきました(家具の福屋HP「寝具の歴史」)。

 

やがて綿を使った布団は徐々に普及していきましたが、戦前までは、布団といえば綿屋が扱う木綿綿(もめんわた)や真綿を使って、各家庭で仕立てるものでした。布団に入れた綿の弾力が徐々に失われて硬くなり、いわゆる煎餅布団になれば、打ち直しをして新品同様にリフォームして長年使っていました。打ち直しの作業は主婦にとって大変な重労働だったため、綿屋に依頼することもありました。

 

それが不要になったのは戦後、化学繊維で作られた綿を用いた布団が売り出されるようになってからです。そして、布団は「家庭で作るもの」から「専門店で買うもの」へシフトしていきました。

 

1980年代に入ると経済成長によって国民の生活は成熟し、ハイブランドの高価な商品に注目が集まるようになっていきました。その波は寝具業界にも押し寄せます。バブル期に世間の消費欲が高まるのと時を同じくして、寝具業界は羽毛布団の全盛期に入りました。

 

世の中に「羽毛布団ブーム」が起こり、30万円を超えるような高価な羽毛布団が飛ぶように売れていきました。当時は海外製の高級寝具がもてはやされていて、従来の綿の布団は硬いとか、重いとかいったマイナスイメージをもたれるようになってしまいました。綿を扱っている私たちの会社にとっては試練の時代の到来です。

 

その後のバブル崩壊とデフレ経済によって、寝具市場はさらなる変容を余儀なくされます。価格競争が激化し、市場はいつしか安価な輸入品の羽毛布団が主流になりました。

 

さらには製造小売業という業態を確立した企業によって、価格が安くて品質の良い製品が大量に出回るようになりました。安いだけではなく、さまざまな機能性が追加された寝具は消費者の心をつかみました。

 

こうして寝具を扱う私たちのような中小ものづくりメーカーのみならず、卸業者や寝具専門店などを含む寝具業界全体にとって厳しい時代がやって来たのです。

 

 

龍宮株式会社 代表取締役社長
梯 恒三

 

 

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一品勝負 地方弱小メーカーのものづくり戦略

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梯 恒三

幻冬舎メディアコンサルティング

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