不渡りを出した社長に「支援の手」
不渡りを出した翌日から工場の機械はすべてストップすることになり、会社全体が静まり返っていました。火災のあと早く黒字化しようとフル稼働してきた工場は、命を失ったかのようでした。
事務員だけが書類の片付けをしていたところにやって来たのは、地元商工会の課長でした。不渡りの噂を聞いて、心配して訪ねて来てくれたのです。詳しい事情を説明すると、
「商工会としてできることがあればなんでもしますので、遠慮なく言ってください」
と言ってくれました。
感謝の気持ちでいっぱいになっているところに、今度は信用金庫の支店長がやって来ました。
「今まであなたが割引きした手形で落ちなかったものは一つもありません。不渡り一回ですから、まだ銀行の取引停止になったわけではない。もうひと踏ん張りすれば、必ず再建できます。こちらも力を貸しますから、なんでも相談してください」
との温かい言葉でした。
さらには町役場の助役もやって来て、
「大変なことになりましたね。でも、役場でもできる限りのことをしますから、お役に立てることがあればなんでも言ってください」
と励ましてくれました。
こうした地元からの心強い応援を胸に、父は債権者会議の席についたのです。会議の議題は会社をどう再建するのか、債権者がそれにどの程度協力するのか、配当をどうするのかといった内容でした。こちらから提案した再建案に出席者全員が賛同し、債権については全額を10年間の分割払いで支払うということで初回の会議は幕を閉じました。
その後、詳細な話し合いに入っていくうちに、「長く待つより少額でもすぐに支払ってもらうほうがお互いに良いし、会社の再建もしやすいのではないか」という意見が多くなってきました。債権者も、それぞれ資金繰りに大変な思いをしているのだからそれは当然の意見でした。
さらに会議を重ね、議長の提案によって「負債の20%を6月に支払い、残り80%の債権については放棄する」という結論にまとまりました。迷惑をかけたうえに、負債の2割だけを支払えばよいという話に、父はしきりに恐縮していましたが債権者が口々に言ってくれたのは、「立派に立ち直ったら、そのときに少しでも穴埋めしてもらえばいいですよ」というありがたい言葉でした。
債権者会議で結論が出た数日後には、吉井町長と吉井町商工会長が連名で〈再建についてのお願い〉という要望書を発行してくれました。しかも、その要望書は一回だけではありませんでした。各金融機関に宛てて、何度も龍宮再建を呼びかけてくれたのです。
なかには、一つの営利企業のために役所がそこまで応援するのはおかしいのではないかと異議を唱える人もあったようです。しかし当時の吉井町長は、
「吉井町に出てきて以来ずっとまじめに頑張って働いてきた立派な会社です。そういう会社が今、苦境にある。ご援助できることがあればお助けするのは当然のことです」
と毅然とした態度をとってくれました。
この苦境にあって吉井町や吉井町商工会はもちろん、県の商工部、販売先、仕入れ先、そして社員が一丸となって温かい手を差し伸べてくれました。
父が会社を起こしてから30年。その仕事ぶりへの信頼もあったはずです。加えて、このような地元のバックアップ体制があったことは、債権者の心証を良くすることにもつながったのだと思います。
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