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なぜ、短期間で終えられる治療を目指したか
ここからは、歯列矯正医として普段から考えていることを中心にお伝えしたいと思います。
■治療が終了した患者さんの自信に満ちた笑顔が忘れられない
東京医科歯科大学に入学時、歯列矯正というものがあることくらいは知っていましたが、その程度で、私自身は口腔外科に進もうと考えていました。
ところが、口腔外科が専門のある先生と話していて、「何か違う」と感じ、進路に悩みました。
当時、歯を削って詰める普通の歯科治療には興味が湧かず、数ある臨床科目の一つとして学んだことのある矯正に関心を持つようになりました。
それを矯正が専門の先輩に伝えると、「じゃ、君も1回矯正をやってみたほうがいいよ」と言われ、驚きながらも治療してもらったところ、恐ろしく痛かった記憶があります。
大学3年か4年の時でしたが、毎月1回調整しに行くと、その日の夜は痛くて眠れない。治療のあと、お酒を飲んで酔わないと眠れないほどでした。
ですから、こんなに痛い治療は、「これを治さなかったら生きていけない」くらいの人でないと耐えられないのではないか、と当時は思いました。
自分が歯列矯正を受けてそんな感想を持ったことからも、「はたしてこの道でよいのだろうか」と、再び悩むようになりました。
ところが、矯正科の実習を経験して、治療が終了した際の患者さんの笑顔を見ると、そうした悩みは吹き飛びました。
笑顔でお礼を伝えてくれるのは、もちろん、私たち医療従事者に対しての感謝の気持ちの表れなのでしょうが、何より、きれいな歯並びを手に入れた患者さんたちの笑顔は、みな自信に満ちあふれていました。
こうして歯列矯正を専門にすることに決めた私は、大学院を経て医局で働くようになりました。その間、当然、さまざまな資料を目にする機会があります。そこでアメリカ人の矯正率の高さに驚いたというわけです。
ところで、「主体性」の大切さを力説している私ですが、実は自分自身は、大学、大学院時代、そして医局に残っていた時代を通して、自分で決めるのではなく、教授や周囲が決めた道のりを歩んでいました。
でも、そうしていると、本当に人生がおもしろくない。もやもやした気持ちがうっ積し、そこから逃げたいと感じるようになったのです。
そこで、一つの逃げ道として、独立開業を選びました。