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日本はデフレだから生産性が上がらない
■生産性とは?
日本経済停滞に関する話でよく出てくる「生産性」とは何か。『広辞苑』には〈生産過程に投入された一定の労働力その他の生産要素が生産物の産出に貢献する程度。〉と記されていますが、大きく分けると生産性には労働生産性と全要素生産性とふたつあります。
一般によく言われている生産性とは、単位時間のひとり当たり、例えば8時間労働でどれぐらい価値をつくれるかということです。ひとり当たりの生産高、あるいは販売高でわりと容易に出せます。これが労働生産性です。そのため高齢化すると、ひとり当たりの生産高はどうしても落ちます。同じ時間でどれだけのことができるか、それは年寄りと若い人では、若い人のほうが高効率なのは当然です。
これはIT化しているとか、ロボットがいるとか、生産効率を上げることを抜きにして人間ひとり当たりの計算です。しかしながら、本来の生産性はやはりITやロボットなどいろいろな効率的なシステムが導入された全要素で割り出すべきものです。あらゆる生産要素を使ってどれだけの生産ができるか、あるいは販売ができるかということが、より正確な話になります。これが全要素生産性です。
経済を測る指標としての生産性は労働生産性よりも、むしろ全要素生産性のほうを重視すべき、それが現実的な話だと私は思っています。
日本の場合「非常に労働生産性が低い」と言われますが、これは流通業だったりします。確かにデパート、高島屋や伊勢丹、三越などに行くと、店員さんがたくさんいます。平日の午後だと下手すると客よりも店員さんのほうが多いくらいです。こういうところが日本の生産性の悪さの象徴だというわけです。
しかしながら、接客には数字で表わせない満足度があります。高島屋や伊勢丹、三越に行けば、清潔で感じのいい店員さんがニコニコと丁寧に応対してくれます。なんかこれだけでも得したような気分になる。とくに私のような田舎者は。これはある種の百貨店のサービスとして売りになっています。ただ、人を呼ぶという意味でのプロモーション効果があるとしても、必ずしも売り上げに結びつくとは限りません。
生産性では貢献しないかもしれないけれど、そういう仕組みをつくって維持していくことは、老舗の百貨店なら当然あることでしょう。
また私のいる新聞という業種は生産性でいうとグダグダです。新聞社の生産性は、恐らく記者が単位時間にどれだけの量の原稿を書くかで出されるでしょう。記者が取材に出て、いろいろなところを回っても、それがすべて記事になるかというと、そうとは限りません。むしろ記事にならないことのほうが多い。
「生産性、生産性」と口やかましく言う人たちがいますが、日本のように長期にわたるデフレに喘いでいる国は、販売単価が上がらない、むしろ下がっています。このことのほうが問題だと思います。
要するに例えば同じタブレットを売るとして、インフレのときは10万円だったのが、デフレで5万円に下がったら、当然同じ労働時間で生産されているわけですから、労働生産性は下がる、半分になってしまいます。生産に関わる人数も変わらないでしょうし。
だから生産性といったら分子のほう、つまり物価のほうを重視すべきと思います。デフレは生産性を下げるのです。生産性が悪いからデフレを脱却できないのではなく、デフレだから生産性が上がらないのです。
デフレで物価は安くなっているというマクロ的な要因を全然勘案せずに「日本は従業員ひとり当たりのつくりだす価値(販売高や生産額)が低い。生産性が悪い。とくに中小企業はひどい。だから皆合併すればいい」と、アングロサクソン系の市場原理主義的なエコノミストたちが言っています。
合併と簡単に言いますが、これはどういうことかというと整理統合になるわけです。当然のように従業員のクビを切ります。余計だと見なされたものはすべて省きます。分子(=物価)は変えずに、従業員を絞る。当然、生産性は上がります。