介護という仕事は失業者対策で生まれた
■見守りを介護とは認めない理由とは?
どうしても多くの人は、介護職員に直接的な介護支援を求めています。平たく言うと、介護職員に見える形で労働をしてほしいと思っているのです。つまり、多くの人たちは、介護職員は、肉体労働者、体を使って働く人たちであるという偏見を持っているからだと思います。本来、介護職員とは、頭と心を使う仕事であり、けっして肉体労働者ではありません。肉体労働は、すべての業務のほんの一部にしかすぎないのです。
なぜでしょうか? 答えは簡単です。介護という仕事が失業者対策で生まれた労働だからです。その昔、リストラされた多くの失業者の受け皿が介護でした。
私は、時代背景から考えてみても、明らかにそうだと考えています。それまでは多くの失業者の受け皿は、ゼネコンでした。高速道路やトンネル、橋などの土木工事や大きなビル工事など、豊富な公共事業は失業者の受け皿でした。
しかし、公共工事は「悪」になり、箱から人へ、箱モノから情報へといった時代の流れの中で、失業者を支えるだけの道路工事などはなくなりました。それに代わって登場したのが介護です。私はそう考えています。だから、多くの介護サービスの利用者や、さらには多くの介護会社の経営者らは、介護とは肉体労働である、という発想になるのです。
だから、介護職員が涼しい顔で、冷房の利いている事務所で仕事をしていてはダメなのです。入居者や利用者のために、走り回り、「腰が痛い」と言いながら仕事をしていないと認めてくれない世界が、介護の世界にまだまだ根強く残っています。
私の持論を言わせていただければ、介護は「心」の仕事です。常に「心」を使う仕事なので、本当に介護の仕事を真剣にやっている介護職員は、「心」が強くなっているはずです。
老人ホームを見学に行った際は、「心」の強い介護職員がどれだけいるかを確認することをお勧めします。ちなみに「心が強い」とは、相手の立場を考えた上で、自分の立ち振る舞いを考え、実践できる人のことを言います。平たく言えば、人に対する思いやりです。この思いやりが備わっているかどうかが、まともな介護職員とそうでない介護職員の差だと私は考えています。知識や技術も大切です。しかし、それよりも大切なことが「心」です。
話が少しそれてしまいますが、大切な話なので、どうぞご容赦ください。私はいつも、自分のセミナーや勉強会で、参加者の方に次のような問いかけをします。もし、あなたが病気になり、手術をしなければならなくなった場合、技術は高いが意地悪な医師と、人格者ではあるが、技術が低い医師と、どちらに手術をしてほしいですか? と問いかけます。多くの人は、技術の高い医師を選択します。
では、もし、あなたに死が迫り、死への恐怖や不安の中で身体の面倒を見てほしいと思った時に、技術は高いが意地悪な介護職員と、多少技術はおぼつかないが、あなたのことを一所懸命に考えてくれる思いやりのある介護職員と、どちらにそばにいて介護をしてほしいですか? と問いかければ、多くの人は、思いやりのある介護職員と回答します。これがすべてです。心のある老人ホーム、つまりは、心のある介護職員がたくさんいる老人ホームを探してください。