ストローの始まりは麦の茎の有効活用
ストローは英語で麦わらのことで、日本におけるストロー生産は明治時代の麦稈真田(ばっかんさなだ)業が始まりでした。麦稈の稈は節と節の間が空洞になっている茎のことで、つまり麦稈は麦わらということです。これを真田紐(さなだひも)のように編んでひも状にして、このひもを縫い合わせて麦わら帽子などを作ります。
麦稈真田の技術はヨーロッパ由来で、麦の産地である岡山県浅口市に伝わってからは地場産業として根づいていきました。明治時代には浅口市の周辺は麦稈真田の産地となり、フランス万博に出品するなどして輸出もしながら栄えていったのです。
浅口市周辺で穫れる麦は茎が太くて強度があるのが特徴です。そこで、寄島町の川崎三一という人物が麦の茎を飲料用のストローとして販売することを思いつき、ストローの製造・販売を開始しました。
こうして製品化された麦の茎のストローですが、麦は自然由来のため、虫が付くことがありますし、品質も良くありませんでした。また、かつては人の手で丁寧に刈り取ることで麦の茎をストローとして製品化できましたが、刈り取りが機械化されるようになるとその過程で茎が潰れてしまい、ストロー用の材料として茎を確保するのが難しくなっていきました。
それらの問題を解決するために1900年代に導入されたのが、紙製のストローです。紙製のストローは1880年代にアメリカで誕生しました。紙製のストローはプラスチック製ストローの代替品として生まれたというイメージがありますが、実は先に生まれたのは紙ストローなのです。
しかし、第二次世界大戦頃にプラスチックの大量生産技術が確立しプラスチック製ストローの生産が始まると、紙ストローの需要は減っていきました。紙ストローより耐久性があり、原価が安くて製造の手間もかからないというプラスチック製ストローの価値が世の中に認められていったからです。1950年代以降、日本の紙ストローの企業はこぞってプラスチックストローの大量生産に切り替えていきました。
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