報酬以上に「働く意味」を個人が探求する時代
幸福論や労働観について深くは語りませんが、私も含めて昭和の時代に社会に出た年代の人はあまり「なんのために働くのか」を深く考えてこなかったのではないかと思います。考える機会は幾度もあったのですが簡単に答えがでる問いではないし、何よりも考えなくても毎年のように会社も拡大し、給与も増えて個人の生活レベルが向上していたので「問題先送り」ができていたというのが正直な答えかもしれません。
まだ若い頃何のために働くのかを問われて、真っ先に頭に浮かんだのは「給料と生活のため」という言葉でした。それ以外に何があるんだろうと考え続ける中で、次に浮かんできたのが「仕事そのものが楽しい」という考え方です。仕事は大変なことが多かったとしても、最後までやり遂げて納品し、顧客が喜んでいる姿を見るのは本当に楽しかったです。
30代の頃、ある大学の創立者の「大学は、大学に行けなかった人のためにある」という言葉を聞きました。これは哲学的だなと深く感動をしたのを覚えています。その後もこの言葉を反芻しながらようやく「仕事を通じて相手を幸せにする」という自身のあり方を見つけたのは、もっと後年のことになります。
働くことの意味を見つける作業を、今の青年は真剣に取り組んでいるように感じます。おそらく本人も意識しないレベルの感覚的な部分で、その大切さを理解しているのだと思います。その中で途を見失ったり、一時的に挫折してしまうようなことも起きているようですが、単に報酬のために働く以上のものを希求していることはまちがいありません。とはいえ、この問いは哲学的でもあるので答えはそう簡単には手に入らないものでもあります。
そんな彼らに対して「仕事なんだからちゃんとやれ」と言っても心に響かないばかりか反発をされてしまうかもしれません。望ましくは、一緒になって考える姿勢が上司側にもあればと思います。
人間らしく生きたいという意識の高い彼らは経営者の年代があたりまえとする「企業の論理」では動かないので、使いにくいと言う声をよく聞きます。ゆとりや悟り世代と言われたりしていますが、その身勝手にも見える思考は彼らがまだ若く、未熟な部分が残されているからです。真剣に働く意味や意義を探求し、自身の生き方に納得感を深めようとしている姿に、私は少し大げさに言うと人類の進化を感じています。
ともあれ人生の先輩である経営者は多様性という言葉と共に、彼らの感性を全面的に否定するのではなく、いったん受け止めてあげることも大切です。経営者のその姿を見て彼らの感性は人間的な成長を始め、自走型組織の実現に向けて貢献してくれる人財に必ず育っていきます。
森田 満昭
株式会社ミライズ創研 代表取締役