介護職員に家族の気持ちは理解できない
老人ホームでは、毎月のように入居者が亡くなります。そのたびに、介護職員が、打ちひしがれて泣いていては、そもそも仕事になりません。介護職員にとって、入居者の「死」は、日常の一コマであり、よくある風景なのです。そう考えなければ、仕事の継続は無理なのです。
つまり、親を老人ホームに預ける家族は、老人ホームに対して、一定の割り切りが必要だということです。本来は、子供として自分が親の面倒を見なければなりません。しかし、さまざまな事情で自分では面倒を見ることができない。であれば、他人にゆだねるしかありません。
しかし、自分とまっく同じ気持ちで、自分の親に対応してくれる他人など、この世の中に、いるはずがありません。したがって、少しでも気持ちの近い人を選んで託す以外に方法はないはずです。そういった場合、自分に何が必要なのか。
それは、「仕方がない」という諦めです。「諦め」と言うと、夢も希望もない否定的な感じになりますが、そうではありません。「諦め」とは、あるがままを受け入れるということであり、今の状態が一番ベストな状態だ、と理解する前向きな考えを言うのです。
仕事で知り合ったあるお寺の住職が、次のようなことを言っていました。
彼は、ボランティアで東日本大震災発生後、都合100回以上、被災地に入り、ボランティアをしました。そのボランティアを通して感じたことは、いくら自分が努力をしても、大切な人を亡くした人の悲しみや、大切なものを失った人の悲しみを、自分が当事者と同じように理解するはできない、ということです。
わかったような気にはなりますが、本当にわかっているのか? と問われれば「わからない」としか回答できません。しかし、ヘドロで汚れた街を奇麗にしたいとか、壊れてしまった家を元のように住める家屋に戻したい、という思いを同じにすることができる、と。
まさに、これは老人ホームと家族の間でも通用する話です。介護職員に家族の気持ちなど理解できるはずもありません。なんで介護職員は、私の気持ちをわかってくれないの? 私がどんな思いで自分の親を老人ホームに入れたのか、なんであなたはわかってくれないの? そんなこと、わかるはずもありません。そんなこと、求めていること自体が、土台無理な話なのです。
しかし、ホームに入居した後、親にどのような生活を送ってもらいたいのかは、介護職員と共有共感することは可能です。今までの思いではなく、これからの思いを共有することはできます。老人ホーム内で、どのように生きていってほしいのか? ということは、老人ホーム側と共有することはできるはずです。親の老人ホーム入居は、子供や家族にとっては、未来志向で考えるべきなのです。
ちなみに、このことを理解し、しっかりとやっているホームや介護職員のことを、入居者や家族に「寄り添う介護」を実践している、と世間では言うはずです。
最近、「寄り添う介護」の大安売りが多くて困ります。「寄り添う介護」とは、未来に向かって共有共感できることを言う。このことを、どうぞお忘れなく。
小嶋 勝利
株式会社ASFON TRUST NETWORK 常務取締役