条例制定運動に力を入れる理由
「中小企業憲章」は2010年に閣議決定されたが、同友会ではさらに前進して国会決議を目指すとともに、組織内で憲章の学習、普及運動を推進していた。
一方で会内では中小企業憲章の閣議決定を一つの学びにして、自治体が中小企業振興策を明確にし、内外に中小企業重視の姿勢を明確にするとともに、首長が代わっても自治体の政策は不変であることを担保するために、各自治体の特性に留意した「中小企業振興基本条例」を制定すべきだとの考えが強まってきた。結果、10年11月、従来の「中小企業憲章制定運動推進本部」を「中小企業憲章・条例推進本部」へと改組した。条例化をより一層推進しようとの姿勢を明らかにしたのである。
中小企業振興基本条例は、1979年の東京都墨田区を嚆矢とし、その後都内各区から大阪府八尾市などへと制定の輪が広がった。県レベルでも2002年の埼玉、04年の茨城と徐々に広がりを見せ始めていた。もっとも、初期は必ずしも同友会主導ではなかった。
田川市が条例を検討し始めていたこの時期、福岡県内でも、福岡県、福岡市、北九州市が条例制定へ向けて動き出しており、福岡同友会では中山英敬理事(現・中小企業家同友会全国協議会幹事長)が中小企業憲章・条例推進本部長を務めて、先頭に立って制定運動を推進していた。実は中山氏は所属こそ会社の所在地の関係で福岡市内の支部だが、生まれも育ちも、そして現在の自宅も田川市内である。田澤氏はそうしたことを全く知らず、中山氏を訪ねてその偶然に驚くことになる。
中山氏は地元田川市の中小企業振興基本条例づくりに協力するに際し、同市に同友会の支部がないのが気になった。条例づくりを推進するには、中小企業団体側に支援体制がないと進まないし、なぜ条例をつくるのかをよく知っている人がいないとしっかりした内容のものができない。目を付けたのが、田川市内で不動産・住宅販売などを手掛けるさくらトータルライフの創業社長の堀弘道氏だった。勉強熱心で、見るからにパワフル。人柄も丸くリーダーシップもある。
もっとも堀氏は「条例づくりに協力してくれと、中山幹事長に言われたが、その時点では条例をつくって何が変わるのかよくわからなかった」と正直に述懐する。堀氏は当時、地元に同友会支部がないため隣町ののおがた(直方)支部で活動していた。近隣の支部には堀氏を含め田川在住者が5人おり、この5人を核にして田川支部を立ち上げることにした。支部長は堀氏、中山氏は全面的バックアップの姿勢を見せるべく自ら相談役に就いた。
正式に田川支部が発足するのは17年4月。条例づくりと支部創設とが、以降、並行して進んでいく。一方で、中山氏や堀氏らは条例制定を改めて市側に提起、両者で勉強会を開くことにした。次いで同友会以外の諸団体、商工会議所などの商工関係の団体や田川信用金庫などの金融機関、県の出先機関などの参加者も招じ入れて、「中小企業の振興のための勉強会」が設けられ、考え方のベクトル合わせが行われていった。
ここであらためて「中小企業振興基本条例」とは何かを紹介しておきたい。慶應義塾大学経済学部の植田浩史教授(中同協企業環境研究センター副座長)によれば「一般に自治体が地域の中小企業の役割を重視し、その振興を政策の柱としていくことを明確にする理念条例」だとする。理念条例は「具体的な政策を示すものではなく」「基本的な考え方を提示している条例」である。「前文」が付くことが多く、「当該地域における中小企業の経済的、社会的、歴史的、文化的役割について言及」されている。