新宿・渋谷・池袋…「東京三大副都心」が秘める、オフィス街としてのポテンシャル

東京のオフィス街といえば、都心3区と呼ばれる千代田区、港区、中央区が中心ですが、いわゆる副都心と呼ばれる新宿、渋谷、池袋も存在感を発揮しています。個性異なる3つの街についてみていきましょう。

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新宿、渋谷、池袋…「副都心」と呼ばれるまで

 

東京の副都心である「池袋」「新宿」「渋谷」。1958年「首都圏整備計画」によって定められたものです。ちなみに同計画ではもうひとつ「臨海」が副都心として定められ、1982年「東京都長期計画」では、これら4つの街のほか、「上野・浅草」「錦糸町・亀戸」「大崎・五反田」が副都心として定められました。

 

新宿の副都心計画のスタートは1960年に東京都が発表した「新宿副都心建設計画」から。1965年、淀橋浄水場の東村山移転が決まると、その跡地を11区画に造成し、そのうち7区画を民間に売却。この区画を購入した民間会社は、相互協力による街づくりを目指し、「新宿新都心開発協議会(SKK)を設立。いまも新都心の街づくりを推進しています。

 

【新宿副都心に建てられた主な超高層ビル】

1971年:京王プラザホテル

1974年:新宿住友ビル、KDD国際通信センター(現KDDIビル)、新宿三井ビル

1976年:安田火災会場本社ビル(現損害保険ジャパン本社ビル)

1978年:新宿野村ビル

1979年:新宿センタービル

1980年:新宿第一生命ビル(現小田急第一生命ビル)

1982年:新宿NSビル

1989年:新宿エルタワー

1990年:新宿モノリスビル、東京都庁

 

一方、渋谷周辺では東急が主体となって街づくりが進められてきました。そこに西武グループが1968年に西武百貨店、1973年に渋谷パルコをオープン。東急vs.西武という構図のもと、話題の商業施設が次々と誕生し、「若者の街」として発展を続けてきました。

 

そんな渋谷に変化が生じたのが2000年代初頭。その少し前からIT企業の集約が始まっていましたが、2001年にセルリアンタワーが誕生すると、Google日本法人などのIT企業が入居。ITベンチャーが集まる桜丘町を中心に「ビットバレー」と呼ばれるようになりました。

 

その後、企業の発展とともにオフィスは手狭になりますが、当時の渋谷には受け皿がなく、一時、渋谷離れが進みますが、2010年ごろから始まった東急が主導する100年に1度の再開発により、渋谷でのIT復興が顕著になっています。

 

池袋の副都心としての開発の中心は、東池袋にあった「東京拘置所」。戦後にGHQに接収され「巣鴨プリズン」となった場所です。1966年に「新都市開発センター」が設立され、1978年、地上60階、地下4階の高層ビル「サンシャイン60」を含む「サンシャインシティ」が誕生しました。海抜251メートルの超高層ビルは、当時、アジアで最も高いビルでした。

 

そんな池袋に変化があったのは、豊島区が「消滅可能性都市」とニュースになった2014年あたりから。2015年、官民連携によるPERを活用した区役所新庁舎は、「日本初のマンション一体型本庁舎」「実質0円」と大きな話題となると、「南池袋公園」「劇場公園」「Hareza池袋」と新スポットが次々と誕生。新宿や渋谷よりも「区」の存在が光る再開発が行われています。

 

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著者紹介

連載資産防衛のための投資手法研究

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